日本の自然宗教 4
明治政府が日本人の精神世界を大きく変貌させた。廃仏毀釈と靖国神社である。まさに、イスラム国やタリバンの仕業と同じことを明治政府は行った。寺院を破壊し、仏像を燃やした地域まである。大量の僧侶が還俗させられた。神道を天皇を中心の国家宗教にしようとした為である。この問題は深刻なことで、安倍氏が突然語った美しい日本にまで影響している。安倍氏一派が靖国神社にこだわる姿は、明治政府の末裔のつもりだから。靖国神社というように神社の名前がついてはいるが、他の神社とは全く違うものと考えなくてはならない。日本人の自然宗教的なご先祖信仰を、国家が利用しようとしたものである。それぞれの家に於いて、ご先祖は神様になり、山に帰り自分たちを見守ってくれているという意識があった。それは稲作にを継続する暮らしでは、具体的な感謝であり、また自然の力への畏敬の念と自然災害から神の力で守られたいという気持ちである。
日本人の自然宗教を日本帝国主義成立の為に、利用しようとしたのが靖国神社である。近隣諸国が靖国神社を忌み嫌う理由はここにある。靖国神社では死んだ軍人が、神様になり日本を守ってくれるという意識を形成しようとした。村の鎮守の神様への信仰心は日本人の自然宗教と繋がる、原始に繋がるものだ。この意識を軍国主義に置き換えようとしたものが靖国神社である。ご先祖に見守られて生きる日々の安心感や生きる目的。この信条を国家というものに置き換えようというのが、靖国神社である。徳川家康が檀家制度を作り、仏教を葬式仏教に変え、すべての国民をお寺の下に置こうとしたことに繋がる。家康の奥深さは檀家制度を作りながら、村野神社に関しては否定をしない。ところが明治政府は靖国神社を作る一方で廃仏毀釈を敢行し、仏教と檀家制度を破壊しようとする。
しかし、死者という恐ろしいものを始末してくれて、預かってくれる有難いお寺さんから、日本人の心は離れることはなかった。これは現代の溢れてゆく墓地の存在を見ればわかる。墓地の管理人であるお寺の存在のいい加減さ。公営墓地の方が安くていいと言う程度の立場に今やお寺はある。土地に根差して生きていた、3000年の日本人の暮らしが、影響を与え作り出したものが日本の自然宗教である。中国から渡来した仏教は、奈良時代にも律令制度を支えるものとして、神社も国家宗教として、日本統治の制度に取り入れられる。しかし、その時代においては神社も仏教も死者との関係は薄い。死者を宗教的に弔うという事よりも、土俗的に死者を弔う事が日本人の心には納まりが良かった。沖縄の墳墓がチャンプル文化をよく表している。死者の弔い方には古い時代の薦骨の風俗を残す集まりのできる墳墓である。その沖縄式の墳墓の屋根の上に本土的なお墓の形を載せている。
読み進めているのだが、なかなかこの本の主題は、私には見えてこない。政府をお上と感じ、お上はそうひどいことはしないだろうという、論理を超えた従属意識の根源を探るという事だろうか。自然宗教というものは、絶対的な自然の力の前に生かされているという人類が共通に持つ、自然畏敬の念である。この人類共通の原初的な宗教間の影響というより、仏教的な思想を感じた。読みながら、金沢大学時代の出雲路暢良先生のことを思い出した。極めて論理的な思考であって、明解なようでありながら、結論に至らないのは生きるという事がそういう探求という事なのであろうか。出雲路先生の部屋で週一回集まりがあり、出席させてもらっていた。出席者が順番にその週にあったことを話すのだが、誰かの話から、先生は飛躍して自分の宗教観に入り込んでゆく。あの感じを思い出した。多分、著者阿満氏はどこかへ深い穴に入り込んでいる。その穴ぼこの深さが恐ろしい気がした。