冬の篠窪を描く
いつものように篠窪に行って描いている。篠窪はいつの季節でも描きたくなる。沼代の方は田んぼに水が入らないと、描く気持ちになれない。それは欠ノ上田んぼも同じである。そこで冬の間は、篠窪にばかり通う事になる。篠窪はこの時期ミカンの収穫である。みなさん忙しく働いている。だから雨が降る日が迷惑にならないので、絵を描くには良い日になる。冬の雨に濡れた土や、木や、草の姿は、えも言われぬほど美しい。絵にも描けない美しさとは雨の日の畑のこのことだ。この美しさをそのまま描いてみたい。理屈抜きである。絵を描くことは自由という事だと、中川一政美術館で気づいたことだ。最晩年のバラの絵やユリの絵に感動した理由は、別にバラとかユリの花が特別上手に絵が描かれている訳ではない。描かれているものの意味は小さい。その描き方がすごいのだ。その一筆が自由を感じさせる。その結果中川一政という人間のすべてが立現れてくる。画面に塗られた色と形によって、筆触によって、中川一政氏の全貌が覗えるのだ。これは不思議でもある。不思議だけれど、絵を見ればそこにある事実。
結局すごいのは中川一政氏であって、その絵は、中川一政氏のすごさが乗り移ったようなものだ。絵に感動しているというより、中川一政氏に感動しているという事が実感された。もちろん絵がすごいという結果なのだが、こんな絵を描いて居る中川一政という人間の到達した地点に頭が下がるような思いだ。これは、絵を見るというより信仰の対象のような、即身仏の信仰の感覚か。即身仏は苦行の証拠と言えば失礼だろうか。即身仏の修業は4000日草を食み、木の皮を齧る、土を食すという。中川一政氏の絵はある境地のような到達地点が、事物として示されたという感がある。では、私のような小生意気な人間が、絵の上に現れたところで、腹が立つような人間である場合どうなるのか。つまらないままの絵であろう。つまらなさがそのままでなければ、私絵画ではない。絵だけを作り上げることなど出来ない。見ているバラはどうでもいいが、それをそう描く中川一政がすごいという絵との違いを痛感する。これも絵の不思議。
描く対象より、描き方に意味がある。事物を描くのではなく、何をどう描くのかである。晩年の中川一政氏の描き方は衝動的なものではない。実に冷静なものだ。気力は溢れているが、反射的というより、冷静に準備されている感がある。生涯をかけて、自分が立現れてくる描き方に到達した。書画一如。書は写生と書いている。バラの花も書のひとつとして、変わらない意識なのかもしれない。色のある書。書のようにバラがかけるまで、描きつくしたという事なのかもしれない。その状態を完全に把握したうえで、つまりその字を頭のなかで構築できたうえで、一筆が入る。頭の中の文字の状況を写生してゆく。書も写生である。となるのではなかろうか。バラの花も頭の中で構築されている。それ故に手順も安定している。試行錯誤もなくバラの絵に到達する。晩年こういうところに至ったという事のような気がする。色のある書であれば、まさに水彩画の世界である。何故、油彩画なのだろうか。
水彩画は美に近い世界に流れやすい。油彩画は汚い現実に踏み込む。汚いと言えば油彩画をやっている人は腹を立てるだろうが、油彩画を描いて居た頃の部屋は、どうにもならないくらい油で汚れて、嫌な臭いになった。汚いがゆえに、混沌がうまれる。混沌の果てに現実世界が出現する。だからこそ油彩画は人間の真実に近づきやすい。試行錯誤するその痕跡を絵画とする、後期印象派以降の絵画には油彩画が向いていたのだ。水彩画は美に流れる。表面性で終わりやすい。汚しに入るぐらいなら、油彩画でやればよいということになる。水彩画は甘くなる。きれいごとになりがちである。きれいごとがはやる時代には合うのかもしれない。しかし、私絵画の水彩画はそこで終わることは出来ない。ある意味汚しの水彩画。制作の痕跡が残る水彩画が必要である。