中川一政美術館

   

松任駅前には中川一政美術館がある。すぐ隣にあるので、水彩人を抜けて見に行った。素晴らしい美術館だった。真鶴の中川一政美術館より良かった。特に最晩年の作品の素晴らしさは衝撃的であった。昔一度は見たことがある作品に違いないのだが、全く意味が変わるような感激があった。何故、80代の作品より、90代の作品が素晴らしいかである。油彩画が特にそう感じさせた。字もそうであったし、顔彩画もそうであった。人間の不思議である。90代の作品によって中川一政は後世に残る作家になっていると言える。1世紀に1人の画家と言えるような人になった。私に絵がわかるのかどうかは判断できないが、私の今まで進んできた道のはるか彼方にそびえているという事が分かった。何故こんなことができたのであろうか。まず長生きしたという事がある。そしてよい人生を生き切ったという事であろう。桁外れに人間が素晴らしい。

中川一政氏は禅宗に縁の深い人だ。私の僧侶としての師である、山本素峰先生は中川一政氏の甥にあたる人だった。山本先生の父親である方は、生涯托鉢に生きた高僧である。私も何度かお目にかかることができたのだが、この山本老師と若い頃から親しく接せられたと聞いたことがある。とても禅の精神に関心が深かった。生涯絵画禅に生きた人だったのかもしれない。絵を描くという事を座禅を行うというように行われたのではないか。福浦を描いた時、福浦の人たちは、堤防の突堤に杭が出来たようだったと言われた人がいる。ただひたすら描いた。その時、ここで絵がかけなければ繪は終わりだと、つまり人生が終わりだと思って描かれたと聞いた。悟りというものに至らない限り立たないという座禅を聞いたことがある。その修行の姿の厳しさが絵にそのまま表れている。それは良い絵を描こうという事とは全く別世界のことである。

その修行の姿を見ることができることは私の幸せである。比較することなどおこがましいとは思うが、人間が生きるという事はどういうことなのかを、今回、松任の中川一政の絵から学んだ。有難いことだ。こんな絵を残してくれたことは実にありがたいことだ。分析しても始まらないことだが、絵に方法論がないという事がすごい。どこに至ろうとしているのかがわからないところがいい。そして濁り、塗り残し、厚塗り、すべてその時その時の心の目を感ずる。「見るという事には目を見開いてみるという事と、目を細めてみる問う事がある。」こう中川一政は書いている。目を見開きそのものの細部を見極めること。そして、目を細めて全体を総体としてとらえること。世界を顕微鏡的に分析すれば、細胞の中の世界にまで至る。そして全体を見れば果てしのない宇宙に至る。その両者が同時にありうるのが絵画だ。

帰るまでにまた見せてもらおうと思う。絵を描く人はだいたいが若い時が良い。死ぬまでまあまあの人は、死に物狂いの努力をした人だ。歳をとってよくなる人は天才だと。草家人が話してくれたのを思い出す。お会いしたことのある画家では、90を超えて最高の世界に至った人は唯一中川一政である。もう一人の尊敬している画家は須田剋太氏なのだが、この人は死ぬまで活火山だった。自分の絵に至れるかどうかは、自分というものを生きれるのかどうかだ。お二人とも私絵画の始祖のような人だ。絵が現代社会、未来に続くものであるとすれば、中川一政氏のように描くことに絵画の意味がある。中川一政氏の母親が松任の出の人だったという。そして、松任の方が大切に思い、こういう素晴らしい美術館を駅前に作り、後世に残してくれた。文化というものがこれほど大切にされているという事は、もう今後はないことだろうと思う。

 

 - 水彩画