18回水彩人展始まる。

   

9月24日になった。水彩人展が明日始まる。朝から展示を行い、午後の2時から開場になる。14時からなので来場される方は注意してもらいたい。展覧会の準備で連日東京通いだった。年々疲れがたまる。全体を見ると、一般出品者の絵の水準が相当に高い。入選者の4人に1人は初出品の人であった。水彩人展をやってきて良かったと心から感じている。公募展にしてよかった。初出品者が誰かかかわりがある人なのかは分からない。水彩人を見て出してみようと考える人が多数存在するのかもしれない。真剣に絵を追求してみたいという人が、集まってきている感じがする。そうであれば嬉しい。現状の公募展の世界では逆の流れである。どの公募展もおおむね応募する人が減少している。特に初出品の人が減少していると聞いている。公募展が画家への道ではなくなった。絵はそれぞれの人で向かい合い方が違うので、ひとくくりに考えることは難しい。いわゆる公募展的な会場芸術とかいうものが少ない。自分の為の絵画の時代に入りつつある、という事なのだろうか。

  「欠ノ上田んぼ」中判全紙

出品作の批評は作品全部を会場に並べてから、時間をかけて書きたいと思う。まず私自身の絵のことを書いて見たい。今回3点の絵を出したが、少し自分に絵が近づいた気がする。自画自賛で恥ずかしいがそう思った。そういうことは他の人の絵と較べると分かる。額装している段階で、自分の絵になってきたのかもしれないと感じた。50年もひたすら絵を描いてきて、ここへきて少し自分の絵というものが見えてきた感じがする。もしそうであれば嬉しいことだ。2つの要因が考えられる。一つは水彩人を始めて、18年間が経った。そして水彩人の事務所を引き受けて、ひたすらやってきたことだ。もう一つは地場・旬・自給の暮らしがやっと板についてきて、里地里山風景を描くことにしたことだ。自分の暮らしが確立され、自分というものが見る景色が絵にできるようになったという事かもしれない。このことはよくよく考えてみなければならないことだ。今回の水彩人展の会場で、このことを何度でも考えようと思う。

  「庭の畑」中判全紙

自分と絵が近づいたように見え、そんな気持ちに成れるいう事は、今までなかったことだ。絵を作るという意識がかなり捨てることが出来た。良い絵を描くというような意識から、遠ざかった気がする。マチスや、ボナールや、中川一政や、須田剋太から、そして水彩人の仲間の絵から、離れることが出来たかもしれない。捨てよう捨てようという内は、なかなか捨てられなかった。日々のやっていることだけを考えるように田んぼや畑の絵を描いている。いつの間にか、自分が学習してきた絵というものから、少し離れられたようだ。もし本当にそうであれば嬉しい。もちろんそれは良い絵になったというようなことではない。そんなことはどうでもいいと思っている。自分が耕作をしている。そしてその畑や田んぼを見て、とても大切だと思う。日本の田んぼや畑に向かい合う実感を絵に描き止めたいという事に尽きる。そんなことはこのブログを書き始めた頃も同じだったと思うのだが、やっと、その思いと絵が近づいてくれたとしたら、嬉しい。

   「葛窪の畑」中判全紙

このままもう少しやってみようと思う。あと何年もやれないという事は理解している。しかし、67歳になって、わずかとはいえ自分に肉薄できたという感触を貰えた。このまま、自分のやっている里山の暮らしに少しでも迫りたいと思う。田んぼをやるときには絵を描くように。絵を描くときには畑を耕すように。良い絵を描こうなどと決して思わないように。馬鹿な奴だと思われたままでいい。この点では賢治風に。世間に無視されることを覚悟する。運が良く、何とかあと10年やれればと思う。50歳で生まれた時与えられたなにかは限界に達すると考えてきた。37歳の時に通いの開墾生活に入り、39歳の時に山北の山の中に移り開墾生活を始めた。30年である。50歳の時に絵描きを諦め、生前葬としての個展を行った。以来、作品は水彩人にだけ出すことにした。自分に見えている世界を何とか画面にしたいと描いてきた。この見えるには、段階があるようだ。絵にできるように見えるというのは大変なことのようだ。水彩人の事務所も今年で終わる。自分なりの世間的な役割を終わりにする。あとは自分の命が、やりたいことだけをやらしてもらうようにしたい。

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