10号台風の残したもの
10号台風が東北地方に上陸し、日本海に抜けた。この不思議な台風は沖縄の方まで一度南下して再度戻った迷走台風だった。10号台風が南下を始めた頃から、戻って小田原に上陸するだろうと心配していた。今度は12号を心配している。幸いにも10号は相模湾をそれてくれたが、岩手県と北海道で川の氾濫が起こり大変な被害になってしまった。もしこれが人口過密地域であれば、何千人の被害になったかもしれない。まだ行方不明の人が多数いるようだ。沢山の方が無くなられた。悲しい気持ちである。グループホームでの被災では9人もの方が土砂に埋まり無くなられてしまった。良い環境で楽しく暮らされていた結果、こういう自然災害に遭遇するとは思いもよらなかったことだろう。早く非難していれば、被害が防げただろう。しかし、誰も逃げなかった。2階に移動していればと思うと残念でならない。他所にまで逃げるという事は雨の中大変なことだ。危険でもある。せめてその施設で一番安全なところに移動するだけでいい。
他人事だと思わない。避難勧告が出ても家からは逃げないし、自治会長の時に地域の皆さんに聞いたが、避難すると言われた方は一人もいなかった。皆さん家にいた方がましだという考えだ。舟原地区は土砂災害危険地区だ。レッドゾーンに暮らす人も数名おられるし、イエローゾーンには大半が入っている。私の家も入っている。それでも避難勧告が出ても、避難しない。日本全体がそうなっていると思われる。行政はオオカミ少年になってしまったのだ。根拠無く危険地区の指定を行っている。理由を明示し、類似の前例を示すように要求しても、県は事例を示すことができなかった。行政は危険地区を指定していない場所で土砂災害が起きた場合、やり玉にあがる。報道は必ず、行政の対応の非難をする。それでは選挙に勝てないと市長、県知事は考えるので、ともかく一応は危険地区指定を広め広めに行う。危険地区と指定したからと言って何か対応をする訳ではない。指定はするが後は放置である。防災の職員は削減されている。行政を責めるより自分が今どうするかだけを考えた方が良い。
日本の気象が変わってきた。巨大台風が起こるように荒々しくかわった。地殻は変動期に入り、繰り返し大規模地震が起こる状態になっている。現実に、日本では年に何度も多数の死者の出る大災害が起こっている。人間の増加と住宅地の氾濫原への広がり。海岸の港のそば、谷の出口や氾濫原に人は暮らすようになった。それは縄文時代から大きな変わりはない。ただ人口が数千倍になったという事だ。日々の暮らしに便利なところに住む。災害にあう可能性よりも、日々の暮らしの便利さや、快適さを私を含めて普通に選択する。そして災害に繰り返し遭遇してきた。大多数の日本人が、生涯に一度は命の危険と言えるような、自然災害の危機に遭遇する確立の中に生きている。それでも日本人が日本列島を離れなかったのは、それほど素晴らしい自然環境でもあったからだ。暮らしやすい地域だった。私も日本を離れようなどと考えたこともない。
自分の身は自分で守るしかないという事である。危ないなと思われる日だけでいい、家の中で一番安全なところで寝るだけでもずいぶん違うはずだ。私はそうしている。避難所に移動するのはハードルが高いが、家の中で最も安全なところに避難するだけで、ずいぶん違うはずだ。2階にいた人が助かったという事例は多いい。子供の頃、伊勢湾台風に遭遇した。お寺に部落中の人が避難した。雨戸を釘で打ち付け、あらゆるところを板でふさいだ。一晩じっと耐えた。お寺自体が船のようにきしみ揺れた。朝になって風が納まり、外に出てみると部落中の家が軒並み飛ばされていた。大半の家の屋根がなかった。お滝の森の巨木が軒並み倒され、明るくなっていた。ぼろ寺だったが、普通の民家よりましだったのだ。ともかくみんなの協力で人的被害はなかった。台風はトラウマになった。