お墓の話

   

人間年寄りになれば、お墓のことが気になるものだ。死んだらお墓の中に入るという事が普通はなっている。最近は、樹木葬とか、散骨とか、多様化してきているので選択肢はあるようだが。自分ではできないが、死んだときには何らかの葬儀をして、役所に届け出ることになる。それが一人の人間の始末という事になる。人間は死というものを理解するという事はない。禅では生まれてきたことが分からないのだから、死んだ後のこともわかるはずがないと言っている。現代人の科学的な思考では、死後は何もなくただ消え去るという事になっている。この何もないという感じは恐怖がつきまとう。多分縄文人でも死後は消え去るのだろうと感じてはいたが、それがあまりに恐怖なので、何らかの死後の世界を想像しようとしたはずである。死を恐怖と感じる感覚が、死者を恐怖と感じるところに繋がる。死者がお化けになるという話は、どの民族にもある。

死者をお祭りし、尊重しなければ化けて出るという感覚は、現代人でも残っているのではないか。死者が怖いというのは子供の頃の方が強かった。死というものがとらえ切れないから、死者という、物になった人間がなんとなく恐ろしかった。母親の肉体が怖いという人はいないだろうが、知らないおばあさんの死体は怖い人も多いいはずだ。この死者という得体のしれない怖さを秘めた存在をどう治めるかが、お墓である。死体を紐で縛り付けて、出てくれないようにしている埋葬はどこにでもある。燃やしてしまうとか、鳥に食べさせてしまうというのも、一つの解決方法なのだろう。私の子供の頃の向昌院ではまだ土葬で、もう大丈夫だと考えて墓穴を掘っていたら、おじいさんの骨が出てきたなどと言う状態だった。場所によっては人体はいつまでも残っているというイメージがすごい。洗骨してけりをつける。燃やしてしまうのが一番さっぱりしているし、後腐れが少なくて良い。という事で世界中で火葬が一般化してきた。

死者を葬るという事と宗教のつながりは、この死者への恐怖心である。化けてこないいようにお寺さんに預けてしまおうという心理だろう。死者を始末するのにお寺を利用したのだろう。だからお布施というのは本来坊さんの修行に対するものなのだが、実際には死人の預かり代のようになっている。日本人にとってお寺が死者の納まりの良い場所なのだ。仏教と死者が完全に結びつき、管理されたのは徳川幕府の巧みな人間管理策である。檀家制度の確立。寺を政府の管理下に置き、各寺院にすべての人間を管理させる。墓にも入れないのが無宿人である。それは一向一揆やキリシタンで危機感を感じた結果なのだろう。人間を管理するのに死んだ人で縛りを付けて置く。ご先祖様を大切にするという当時の日本人共通の気持ちを、仏教に結びつけた。曹洞宗は葬式をしていたわけではない。個人の修業が目的である。結局のところ幕府の意図する管理下に入り、葬式仏教になる。

こうして日本の仏教は不思議な場所に置かれることになる。死者を治めるところがお寺。信仰とは少し性質が違う。禅宗に興味を持ち、得度をし、少しの修業をして、僧侶になった。しかし葬儀とは何の関係もない。私自身自分が寺の墓に入るかどうかもわからない。父と母である笹村の家の墓は品川の海晏寺にある。しかし、海晏寺の住職の考えでは、長男の家は入ることができるが、それ以外は墓に入れないという事だ。私の場合墓を作ったとしても残る誰かが維持することもない。という事は墓はないという事の方が良い。その時の住職が認めれば一時金を払って、笹村の家の墓の隅に、置かせてもらう事かと考えている。死後私は墓にいないし、空にもいない。消え去るだけである。それはいいとか悪いとかいうより、受け入れる以外ないことだ。少しの修業でもその程度のことは分かる。死を受け入れることで、いま生きているという事をより大切に考えることになる。

 

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