石鹸の話

   

石鹸というものは昔はなかった。否、有ったのだろうが、山梨の藤垈の向昌院の暮らしにはなかった。別段不便はしなかった。以前タオルはぜいたく品で手ぬぐいだけで暮らしていた話を書いたことがあったが、石鹸もぜいたく品としてはあったのは知っていた。しかし、子供の使うようなものではなかった。特別のお客さんが使うレベルものだった。洗濯石鹸というものはあった。あの頑固な立方体の奴だ。しかし、洗濯をするにもめったなことでは洗濯石鹸など使わなかった。洗濯物も石鹸などふつうは使わずに洗った。特別油汚れをしたようなときには、その洗濯石鹸で手を洗うぐらいだった。たいていは灰を使った。流しには灰が置いてあって、その灰をヘチマの乾燥させたものに付けて食器は洗った。手を洗うには米ぬかである。もともとは白かったはずの下着も大体灰色に色が変わっていた。白い下着を降ろすのは正月の儀式のようなものだった。

その習い性という訳でもないのだが、今も石鹸は使わない。こんなことを書くと笹村は汚いから近づかないでおこうなどと思われても困るので、今まで書かないできた。しかし、一見汚らしいのは認めざる得ないのだが、特別不衛生という訳ではないので安心してもらっていい。風呂は好きで銭湯には良くゆくし、風呂や水風呂には日に何度も入る。だいたい風呂で身体を石鹸で洗うという人の気が知れない。石鹸で洗っていいことは何もない。風呂に入る前によく身体をお風呂の水で流すぐらいで充分である。出るときにもう一度水で洗えば良い状態になっている。良い状態というのは、必要なものが皮膚に充分のこった状態でお風呂から出れるという事である。皮膚には身体を守る重要な機能がある。石鹸で洗って流してしまうなどもったいない限りである。最近は犬まで洗うのが普通だと犬の飼い方に書いてある。とんでもない誤解だ。昔の人はたまに糠を付けて洗えばちょうどよいぐらいと考えたのだろう。私は毎日お湯で洗えうぐらいが一番良いと考えている。

ポーランドで民泊したときに一切洗剤を使っていないので感心した。向昌院でも台所洗剤を使うという事は1965年ころまではなかった。池で鯉を飼っている。この鯉は蛋白源である。台所から流れる米粒などが餌なのだ。これはどの禅寺でもそういう習慣であったが、いったん落とした食べ物をもう一度口に入れてはならないことになっている。それは餓鬼が飢えてやっと落としてくれた食べ物を待っているのに、もう一度口に入れてはならない、というようなつまらない教えと結びつけて教えられる。自給生活をしている寺院としては、当然池の鯉は食糧なのだ。改めて餌をやるという事もないが、それなりに生きていた。年に何度かその鯉をおごっそうとしていただくのである。当然洗剤を池に流すわけにはいかなかったのだ。こういう水を汚さない暮らしが当たり前のことだった。一切洗剤を使わないのは、いくらか環境のことも考えてのことだ。洗剤を止めれば環境はだいぶ改善される。

環境運動のつもりで、再生油の手作り石けんの運動など、首をかしげてしまう。石鹸が生活に入り込んだのは、どこかの企業の戦略である。その戦略の枠内で環境活動をしても根本解決にはならない。石鹸を使わない暮らしをすればいいのだ。畝メンテ使わないでもいい石鹸は止めた方が良い。ついでにはなるが、歯磨き粉などというものも使わない。なぜ、そんなものがいるのか意味不明である。歯を磨くのは悪くない。何もつけなくても何ら変わらない。虫歯にならないとかしそ墺膿漏にならないなどという宣伝は騙されているに過ぎない。生活を見直すには、江戸時代の暮らしを想像してみればいい。そしてすべてのものを自分の目で見直してみるべきだ。ついついコマーシャルで使う必要があると思い込まされたものが山ほどあることに気づくはずだ。

 

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