オリンピックから学んだもの

   

オリンピックでは日本選手が素晴らしい活躍をした。見事に勝利する選手もいれば、意外にも戦うすべなく負ける選手もいた。負けたとしてもその背景にあるものを考えれば、やりつくす姿には心を打つものがあった。スポーツに打ち込む姿から学ぶものがある。精一杯やる事は簡単ではない。力を出すという事が出来るのはどういう時かである。勝ち負けという結果はあるが、それ以上のものが精いっぱいやる先にはあるという事がわかる。負けたからと言って力を出し尽くしていない訳ではない。試合に至るまでの長い鍛錬が道である。自分を信じるという事がどいう事なのか。長く厳しい練習を続けるという事がどういうことなのか。オリンピックという4年に一度の世界で唯一の場に立って力を出し尽くすという事がどういうことなのか。強いとか、勝つとかいう事の前にその人間に表れた、真実の姿に胸打たれた。オリンピックほど人間のむき出しの姿が現れる場は少ないだろう。

昨日は400メートルリレーで日本チームが現メダルになった。若い日本人のすごさに全く驚愕した。決勝レースに出ることすら難しい競技でこれほどのことをやってのける、日本人の4人の若者に何か異次元のものを感じた。どうやればそこまで力を出せているかという事になる。力を出すという事は自分を信じると同時に、自分を超えるという事のようだ。自分を突破する勇気はどうすれば発揮できるか。400メートルリレーのように、自分の最高の姿を、オリンピックという大舞台にぶつけることが出来た姿は、人間の領域を超えた何ものかに見えた。これは学ばなければならない大切なものだ。勝利したものは皆そういう姿であった。今までの自分を超える現実を目の当たりにする。自分が絵を描いて居て、自分を超えるような、自分を否定して、自分の領域を突破して描くようなことが出来るか。ここを学ばなければならないと思った。自己実現のような生易しいものでは、本当の人間の能力は現れない。今ある自分を否定し限界を突破するような厳しい心の位置が必要なのだろう。

自分という人間を超えるためにはチームというものが重要という事も、どの競技にもあった。水泳競技や、女子レスリングの活躍は、個人競技であってもナショナルチームの存在が大きかったようだ。前の東京オリンピックの頃は、すべてナショナルチームだった。スポーツの背景となる社会の状況は変わった。日本は企業チームが衰退してきたために、バレボールやサッカーのナショナルチームの活動がなかなか難しくなっている。どの球技もそうなのだが、ナショナルチームを2年間ぐらいは固定して、練習を重ねなければ、強くなることは無理だろう。野球が次の東京では種目になる。強くなるためには、オールスターチームでは無理に違いない。プロ野球とは別に活動することが出来なければ無理だ。実現する環境にはない。サッカーも同じことだ。混成チームで勝ち上がれるはずもない。

チームスポーツで力を発揮できるのは、チームの練り上げたフォーメーションプレーだ。女子バスケット、バレーボールも素晴らしい選手がいるのだが、チームプレーで得点する場面は案外に少なかった。以心伝心で戦う姿が日本チームの特徴だと思う。仲間を反射的に感じて自然に動くところまでゆくのが日本人の特徴だと思う。瑞穂の国らしい暮らしから産まれた日本人の能力が、阿吽の呼吸である。失われてきた日本人の能力なのだろう。一方に新しい日本人の可能性のようなものも感じられた。個人の人間の力である。人の為とか、国の為とかでなく、自分の自身ために頑張ることで力を発揮できる人間力である。しかしそうした人でも多くの選手がサポートに足して心からの感謝を述べていた。敗れてサポートの人たちに申し訳ないと謝る選手もいた。サポートがなければ自分の力を高めることができない。情報力が勝負のカギを握っているようだ。

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