温暖化の限界

   

田んぼ夏空

温暖化対策が出来なければ、人類は滅亡する。これは正確な未来予測である。これは危機を煽るデマではない。人類が滅亡してまた地球は新たな生命を育み始めて、再度知的生命が誕生するのだろうか。その時人類が残した遺跡を発見してどのように思う事であろうか。火を手に入れて、人類が化石燃料を燃やし続けることは、抑精神の乏しい、貪欲な生き物として必然なことなのかもしれない。資本主義を人類が続ける以上、温暖化の阻止は出来ないことだろう。温暖化など、直視しようとしないことだろう。様々な屁理屈を並び立て、金儲けできる道を見つけ、出し抜こうとすることだろう。むしろ当面は気象変動を喜び、競争相手がこぼれ落ちるのを期待する国もある。ある国家は温暖化阻止に向うことは出来るかもしれないが、地球規模で言えば不可能であろう。

温暖化は一人一人の暮らし方なのだ。人間が暮らしの豊かさをどこに見出すかだ。資本主義は消費を良いものとして、大量消費を奨励している。今年の夏は暑いので、クーラーが売れて景気が良くなると、テレビでは電気屋さんが喜んでいた。温暖化万歳の企業が存在し、温暖化を推進していることだって大いにありうる。人類の滅亡よりも目先の儲けを求めるのが、資本主義の原理だ。競争に負ければ元も子もない。商売をやっていれば、クーラーの販売員が夏暑いことを喜ぶのは当たり前のことだ。山背が来て不安になっている岩手の農家とは違う意識になる。私も、早く梅雨明けしてもらいたいと考えていた。長雨で稲が病気にならないか不安だからだ。こういう時近代農法では殺菌剤を散布するのだろう。昨年、8月後半の雨続きで小黒菌核病らしきもので大打撃を受けた。ストチュウでも用意しておこうかと思っている。病気が出たとしても、そこそこ通り抜けるしかない。それが里山暮らしの手入れというものだろう。

稲の病気を畏れ、化学薬品で予防まですれば新たな問題が出現する。効果が高いものには、予防効果だけではない自然環境に与える影響も大きくなる。そして遺伝子組み換え作物まで進んでゆく。そうして自然を破壊しても、自分の農園だけが利益の出る農法に向かう事になる。遺伝子組み換え作物以外の農家のことなど、潰れればいいと考えている。それが競争の原理である。遺伝子組み換え作物の殺虫植物が自然界に広がった場合どのような影響が出るかは、未解明である。未解明であろうが、自分の利益が出るのであれば気にしていれば出し抜かれる。それが資本主義の現実である。こうして人類は競争をしながら拝金主義に染まった。相手が良くなることは、自分が良くなれないことという仕組み。唯一人類が生き残るためには、共存である。自分の暮らしを深めるることが回りに迷惑をかけない生き方。それを実践していたのが江戸時代の部落の暮らしである。封建的で因習にとらわれ、不愉快な社会ではあるが、共存するしかない社会である。

共によくなる以外によくなる道がないという社会を目指すべきだ。それは期待したところで、不可能に近い。何度も人類はばかばかしい戦争を繰り返す。相手に勝たなければ、自分が生き残れないと思い込んでいるのだ。その現実が避けられないとするなら、せめて自分の暮らしだけでも自然の循環にそいたい。すごい遠回りになる道だが、温暖化を食い止めるには、一人一人が金権主義を抜けるしかない。たぶんできないだろう。70年ごろ学生闘争が起きたのは、その危機感が根底にあった。このままでは人類は滅亡すると予測された。しかし、世界はその警告を無視した。そして、50年無謀にも突き進み、後戻りできないところまで来ているのだろう。私は全体のことを忘れるようにして、あえて見ないようにして自分勝手に自給自足に生きようとしてきた。しかし、時間は確実に悪い方向のまま過ぎ、展望はさらに暗くなっている。次世代に示せるものは、もう逃避方法だけかもしれない。

 

 

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