自給用ビニールハウス
自給の為には小さなビニールハウスがあるとずいぶん楽になる。ビニールハウスなど自給生活によくないという考え方もあるが、自給生活に小さなビニールハウスは許容範囲だと考えている。小さな妥協を重ねることが、いい加減な自給生活にはむしろ大切である。自動車はいけない。と以前は考えて1時間も歩いて水を運んで暮らしていた数年間もある。しかし、バイクに乗り、次には軽トラはいい。と妥協を重ねがらやってきた。無原則の妥協は良くないが、ほどほどの妥協は自給生活で暮らすためにはむしろ必要なことである。その妥協の仕方にこそ、その人の自給生活があらわされている気がする。科学的成果を、どうより分けて利用するかは大切である。私はいまや太陽光発電を行っている。矛盾は承知である。頑なな精神では、体力不足の現代人では、自給生活を楽しむことが出来なくなる。ビニール素材は農業に革命を起こした。特に冬の間の自給には素晴らしい力を発揮する。
自給生活で問題になるのは、端境期である。春先などどうしても作物が作りにくい時期がある。この時期をどう乗り切るかが自給の成否になる。保存食の工夫という事がある。しかし、新鮮な野菜を食べることができるなら、それに越したことはない、野菜が十分作れない頃は、山菜を探しては食べた。毎日何かしら探して食べるという事をしていた。里山には結構食べることのできる草や花がある。そうして山菜ばかり食べていてわかったのは、やはり野菜は格段においしいという事だ。山菜もしばらくはいいが、そればかりとなると飽きてしまう。三度食べるのが山菜の食べ方である。昔の人が野菜を作った意味がよく分かった。山菜の季節に、菜花など食べるとさすがに畑で出来たものは違うと改めておいしさを感じた。おいしいものの方が良いに決まっている。もう一つのビニールハウスの利用は苗作りである。狭い畑を効率よく回すには苗作りが重要になる。前作がある間に苗を作り収穫と同時に植え付けるわけだ。畑の準備に余裕ができる。
子供の頃の、稲作の苗作りは、障子の桟に油紙を張ってあった。油川に遊びに行ったときに、家の前の田んぼに苗床が作ってあった。それを見せてくれて実に油川のおじさんが嬉しそうだった。そのお孫さんが桃のビニールハウス栽培で、テレビに出ていた。油紙の苗床は子供の私にはなんだか意味がよく分からなかった。今思い出すとビニールがなかったのである。あれは、ビニールのない時代の苗作りだったのだ。貴重な思い出である。隅から水がわずかに入るようになっていた。しかし、甲府盆地の底冷えの中、それほど温まってはいなかった。それでも苗の緑だけが寒空に鮮やかな印象として残っている。確か障子が2段重ねだった。あんなに暗くても苗は大丈夫なものだという事にもびっくりした。その点ビニールは光を通す素晴らしい素材だ。
自給のハウスには工夫がいる。さすがに加温するのでは行き過ぎである。北側は石垣がいい。石垣で熱を貯める。ハウスの中は昼の間は結構暖かい。その熱を十分石に吸収させ、夜にその熱でハウスを底冷えさせない。石垣の一番高いところで2,5mの高さある。そこから型屋根でアクリルの波板が下りてきている。廃棄したハウスのパイプを使っているので、局面になっている。アクリル波板にしたのは、ビニールを消耗するより、耐久性である。但し、屋根はすべてを覆っているのではなく、少し短くしてある。前面のビニールを外すと、雨はハウス内に入るようになっている。奥の方には雨は入らない。雨の入るところには、みかんが置いてある。入り込む雨がハウス内の土壌づくりに結構役に立つ。一番奥には踏み込み温床が積んである。さらに外には堆肥置き場があり、その熱もハウスに取り込む仕組みになっている。しかしこれは現在壊れている。それでも、トマトが冬を越す温度がある。トマトは一本だけ残して、次の年の苗を取る。冬の間作るのは小松菜である。雨が当たるあたりにはニラが植えてある。