19回水彩人展作品評
19回 水彩人展 松波 照慶 「かぜにうごく」 F50×2
この絵は今回の展覧会の最高の成果だと思う。水彩人展を開いて良かったと持った。ここに加わることの幸いまで感じた。松波氏がやってきた仕事が開けた瞬間だと思う。これは竹林を描いているものだ。絵を語る会でもこの前段の絵を見せてもらった。竹林が風で揺れ動く様から、作者が受け止めている世界をどのように昇華させてゆくのか。そして、開かれた。竹の姿は消えてゆくが、その受け止めた世界が絵画として新たな世界を作り出してゆく。それはもう竹林である必要もない。現実の場である必要もない。ただ松波氏が受け止めた世界だ。眼前の世界の投げかける波動のようなものを、そのままに受け止め描く。描くという事ではあるのだが、実際には塗られた絵の具を消し去りながら、その白い影で波動をとらえてゆく。この作業の繰り返しの中で、松波氏の世界というものが浮かび上がる。
松田 憲一 「水面の枯葉」 92×162.5
水彩画の薄い塗りの強さが際立つ作品。この薄さで作品としての説得力があるのは、松田氏の絵画力の高さだ。バランス感覚が、いかんなく発揮されている。実に薄い薄い最小限の着彩の層が、強烈に強い絵画的色面に変わる一瞬。淡彩と言えるような着色層が、なぜこれほど堅固な色面に変わりうるのか、驚異的なものがある。ただのものが、絵画としての表現に変わる魔術のような作画力は別格だ。モノである画面が絵画に生まれ変わる秘密をわかっているからに違いない。松田氏は油彩画の作家である。油彩画においては、マチュエール重視の作家である。油彩では油彩の材料への反応をしている。その必要な迫り方の結果として、むしろ水彩では水彩の材料への反応が必要と考えているのだろう。絵画というものの成り立ちをよくよく理解している感性の由縁であろう。
上田 恭子 「緑のラビリンス」 F80×3
心の世界の広がり、水彩画が心に最も近い色彩であるという事を示している。見るものが心の中を映像として想像してみれば、水彩画がの、上田さんのような表現に最も近いものであろう。と思わせてしまうような作品がここに実在する。心の色であるから、心の調子であるから、作者の心はそのままに染み渡る。音楽と絵画がその根底では通じ合っているような調和。
高橋 道子 「夏 霞」
高千穂の山を描いたものと作者は言われていた。山であることは確かにそうなのだが、描かれるうちに、その山は色の渦になる。想念の渦巻きに変わる。この思いの渦がいかに強いもので、ゆるぎないものなのかに巻き込まれてゆく。それは感性というような、漂うものではなく思想呼ぶべきの強固な渦のようだ。得体のしれないものに対峙する荘厳。
松原 瞭子 「菜園譜」 F100
エネルギーが画面にあふれている。画面に絵の具を乱暴にぶちまけたところでエネルギーというものが表現されることはない。画面にエネルギーが乗り移るためにはさまざまな仕組みを必要としている。その仕組みの自由さが松原さんの世界なのだろう。我々が見せられるものはこの絵から飛び散る尽きることのないパワーだ。水彩画でこれほどパワフルなものは、見たことがなかった。
ここに5名の水彩人同人の絵を並べさせてもらったが、良い展覧会だと改めて思う。良い仲間がいる。こうした人達の刺激を貰いながら、絵を描いている幸せ、幸運。互いに本気で批評し合いながら進める。水彩人の場というものがあったという事で、互いに高まってきたと実感できる。自分の至らなさをつくづく思う訳だが、比較しても仕方がないことだが。自分としてやれる限りのことをやってみようとあらためて決意する。そういう19回展であった。