ヒアリとトンボ

   

田んぼに来るオハグロトンボ 大好きなトンボで危険外来生物ではない。こちらはオスで身体が緑に輝く。この後3日ほどしてメスを見かけた。

ヒアリの日本侵入が問題になり、外国から怖い生き物がやってくるという話が、気持ちにひっかかっている。先日も岡山の水島港にいたと報道されていた。昨年の夏は確か東京の代々木公園でデング熱と蚊の騒動があった。便乗するようにヤマカガシに子供が噛まれたという話が、大騒ぎになった。報道的には必要と考えた報道なのだろう。そのことの背景まで調査して報道してもらいたい。何千年も日本人とともにあったヤマカガシが、いまさらのごとく危険生物になる。すべては、暮らしが地べたから離れたことがある。子供の頃からヤマカガシに毒があることは知っていたが、おとなしい蛇なのでよほどのことでなければ噛まない。生活の実感というものが失われたところに、情報だけが独り歩きする。有害外来生物に関する学問的厚みがない。専門家と称する人が登場して、一つの偏見を述べると、もうそれが揺るがない事実のように蔓延してゆく。まだ有害外来生物に関しては、分からないことがほとんどの気がする。

稲穂でトンボの抜け殻 ギンヤンマに見えたけど違うかな。オニヤンマの抜け殻も先日見つけたと渡邊さんが言っていた。

千年くらいの単位で、中国大陸から渡来して、日本に帰化した生き物も山ほどある。何万年くらい前に渡来したという事で日本固有種と言えるのかどうか、明確にわからない植物も幾らでもある。つる植物の葛がアメリカではとても困った植物になっているそうだ。アメリカでもくずもちが流行すれば解決するのか。葛根湯で風邪を治すようになればいいのか。有害、有用は人間の身勝手に過ぎない。アメリカザリガニが日本の水辺の生きものを絶滅させてしまうというので、駆除に力が入れられている。子供の頃、アメリカザリガニ取りをしては食べた。あれから、もう60年は経っている。あの頃の境川村でもすでに平地の方にはいくらでもいた。アメリカザリガニが悪い訳ではないが、駆除しなければ日本の絶滅危惧種が危うい状況にある。世界では日々絶滅している生き物がいる。小田原でもザリガニ駆除に何回か参加したことがあるが、トラップで捕まえたのだが、その程度では減る兆候は見えなかった。ここまで広がってしまった状況では環境的に駆除不可能な地域もあるのだと思う。何処で折り合いをつけるかである。環境原理主義に陥ってはダメだ。

沖縄でもハブのいる島とハブのいない島がある。宮古島はハブがいない。だから宮古島に移住するという人にお会いしたことがある。ハブのいない島になりたいと考えて駆除を公的に行っている。毒蛇で死者も出るから駆除されるというのは、生物多様性の考えから言えば、少し疑問がある。マムシは子供の頃から思うとずいぶん減少した気がする。ヒアリは毒があったので、毛嫌いされる。そこらにある一切の草が雑草として、除草剤で駆除される。そういう現実と、生物多様性の原理主義とはどこで折り合うのだろうか。シュバイツアーは病原菌を殺すことは正しいことなのかと悩んだそうだ。まず、ヒアリが来た意味を悩むことは必要なのではなかろうか。人間中心主義だ。人間だけが特別という事は自然界ではおかしい。人間が一番の危険生物である。このことを肝に銘じたうえで考えると、すべてはほどほどに考える必要がある。

日本の自然環境を守るためには、大前提として自給農業を行う以外にない。国際競争力のある農業とは、自然の多様性を破壊する農業である。日本の大半の田んぼには国際競争力はない。間違いなく減少してゆく。生物多様性にとって、生産不利地域の田んぼを維持することが極めて重要になる。田んぼは自然破壊であるが、3000年循環農業を行い、多様性を担う事になった。その中でもお米とともに渡来した、植物や昆虫がいる。メダカだってそうかもしれない。そうした折り合いをつけた自然が日本の自然だ。未来に繋げることができるのは自給農業だけだ。学校で教育としてビオトープをやるくらいなら、田んぼをやるべきだ。自然と暮らしの良い加減を見つけることだ。自然と折り合いをつける暮らしとは、自分が食べるものをもたらしてくれる恵の自然だ。アメリカザリガニを子供の頃食べていた。赤ヒキガエルを佃煮にするほど食べた。蜂の子を求めて山を走って転んだこと。川では沢蟹を集めて、堰堤から落ちた。 豊かな恵みの自然を取り戻すためには、自給農業をやるほかない。

 

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