三線のわずかな上達

      2016/04/09

指導いただいた建物の前の看板。

この建物が宿泊施設になっている。

石垣島白保に横目博二先生の八重山古典民謡の指導所がある。大島安克さんの実家の三軒隣だそうだ。そこで、三線の指導をしていただくことができた。ご主人ではなく、奥様の先生である。ご夫婦で三線の先生で八重山民謡コンクールでは審査をされることもある方だという。弥勒節という八重山民謡を教えて頂いた。教えて頂けるところまで進んでいないのだが、丁寧に一緒に何度も歌ってくださった。基本的なことも指導いただけた。初めて一年で良い指導がいただけた。先生が八重山民謡を南極も歌ってくださった。これが素晴らしいもので、普通の声でそのまま歌うという意味が少し理解できた。古謝さんが演奏会で八重山民謡を歌ったときのすごさを思い出した。決してどちらが良いという事ではないが、同じような感激に包み込まれた。謡が八重山の詩であり、心を伝えるものだという事が私のようなものにも感じられた。

三線はいくらか上達しているのだと思う。始めて10か月である。月々1曲の目標通り10曲ぐらいは練習した。最近になって驚いたのは、テレビで流れているAKBの歌う「365日の紙飛行機」が歌えるのだ。子供の頃は聞いた歌はすぐに歌えた。ボッボぼくらは少年探偵団🎶。なまえは赤胴鈴之助🎶などと歌っていた。家族で唄を歌うこともよくあった。学生の頃もみんなでフォークソングを歌ったものだ。美術部の合宿というと歌集を作るのが常だった。上手くはなかったが歌好きではあった。それが60過ぎた頃から、新しい歌が歌えなくなっていることに気づいた。かなり簡単そうな曲でも、頭の中にはメロディーと歌詞があるのに、口から出すことができない歯がゆい状態に陥った。がっかりだが、ボケてきたんだなと思っていた。ところが、AKBの歌が歌えるのだ。自分でもびっくりポンである。三線の練習の成果に違いない。

大きな声を出すのは気分が良い。日常大声を出す機会もなかなかない。三線の練習で声を張り上げ、でない高音に挑戦する。高音と言っても高い方のミであるが。三線の工工四で言えば七である。この工工四にも驚いた。最初の頃は五線譜で弾く三線教本というので練習していたのだが、いまは工工四楽譜である。最初は何のことやらと思っていたのだが、これに慣れてしまったら、五線譜の楽譜を見ても三線が弾くことができないのだ。唄の方はいまだ5線譜の方がわかりやすのだが、三線では指が工工四に連動してきていて、五線譜音符では動か無いようになってしまった。楽器演奏が頭で出来るものではないという事が分かる。肉体的なものだから、運動競技と一緒でともかく繰り返しの訓練である。現在「おじー自慢のオリオンビール」を練習している。速弾きと沖縄のリズムである。まだまだ程遠いいものだが、いつかできるような気がしている。

酒匂三線クラブでは速弾きを皆さん得意とされていた。あちこちに呼ばれて演奏に行くのに、速弾きの陽気な歌が盛り上がるという事だろう。問題は手のこわばりである。年齢とともに、指先が動かなくなってくる。いまも、キーボードを打つのに昔より遅くなっている気がする。一時は話している会話を打てるくらいに早くなったのだが、今は無理な気がする。速弾きは楽譜を見ていては出来ない。楽譜が頭に入っているというか、楽譜を指が覚え込んでいて、自然に動くのでなければ無理なようだ。これがまたできない。つまり記憶できないのだ。記憶力は年齢とともにさらに悪くなった。記憶力の極端な悪さをどうして克服するかが受験勉強したころの苦しさであった。頭の回路の容量不足なのだろう。

実は絵も同じことだと考えている。絵を描くというのは半分は身体的行為である。私はどこまでも頭で描いている。身体で描くようなところを意識して拒絶するようにしている。空を見て、身体がその状態に反応して、自然に絵の具を調整して、筆が動き出す。というようなことを避けることにしている。あの空はこうだから、こうであり、だからこうするのが良いというような事をまず頭で考え、迂回をする。上手くゆくのを望んでいるわけではないぞ、見えている空気をどう画面に再現できるかなのだぞ。いつものパターンなぞないのだ。一刻一刻新しい現実と出会っているのだ。などと頭の中でぐるぐるしているのだ。身体で覚えるような習慣的なものを極力避ける。その場で発明しながら描くというやり方である。三線をやりながら、自分の絵の描き方を意識することができた。大げさではあるが、三線の練習ではこの自分の頭の中を捨てなければ身につかない。ようである。この頭の切り替えこそ、自分にとっては得難い経験かもしれない。

 - 身辺雑記