安保法制施行
ついに、安保法制が施行される日になってしまった。灰色の濃度が一段と増した。日米同盟の絆が強化されたと、アベ氏は自慢げに語っていた。頼りのはずのアメリカの方では、日米同盟の破棄が大統領候補から口にされている。当然の成り行きである。アメリカはどんどん内向きに変わってきている。世界情勢に関しての責任をアメリカが取りうるような情勢ではなくなってきている。それはアメリカの経済力の問題でもある。アメリカ一国との同盟関係は、日本の敗戦から占領という歴史に根差したものに過ぎない。それまでの大日本帝国は大東亜共栄圏を主張していたのだ。亜細亜の盟主を目指していたのだ。それが日本の明治政府の目指した方角だったのだ。白人による植民地支配からアジアを救済する。この方針が敗戦という形で終わった。日本は危うい国だから、軍事力を持たせてはならないという事が、戦勝国の結論である。欧米と戦争をする国は許さない。
アメリカに支配される形で、日本の民主主義化は行われた。ここが民衆革命で民主主義を獲得した国とは根本的に異なる。国民の中から沸き上がった政治意識ではなく、民主主義も、帝国主義も、上から与えられたものに過ぎなかった。政治など関係ない。そうした政治意識が定着してしまった。政治より商売である。池田総理大臣がパリに降り立った時に、トランジスターラジオのセイルスマンがやってきたと揶揄された。経済好調の敗戦国日本に対して、戦勝国フランスの商売で負けそうな焦りだと日本では分析された。その後、軍事をアメリカに依存して、経済に専念出来たという事で、日本は好調に高度成長を遂げる。それは、日本だけが特別だったとみるより、安い労働力と為替が有利な間は、爆発的な経済成長が起こる通例だった。資源大国のアメリカも経済の絶対的優位を保つことは難しくなってきている。その不安が、トランプ現象なのであろう。
日本は核軍備して、優位な立場にいるための一翼を担うべきだ。こうした暴論をアメリカが主張を始めている。安保法制を軍事同盟としての日本の軍事的負担の強化をして、再締結せざる得なかったのは、このようなトランプだけではないアメリカの本音がある。アメリカの主張の背景には、強者の不安がある。強いものは武装を強化する必要があると感ずるのだ。しいたげられた弱者から起こる、反逆に対する不安である。テロへの不安である。銃規制ができないアメリカ人の本音である。資本主義経済はいよいよ末期的段階に入り始めている。強いものが競争に勝つ。弱者は無能なのだから、貧困に固定されても仕方がない。上の階級に入りたいなら、努力をしろ。上の階級は努力できる、能力の高いものにだけは扉を開いている。
パリ、ブリュッセル、自爆テロが起こった。イスラム国と関係するものによる。その背景にあるものは、移民達の生きることへの絶望である。突破口のない日常が、唯一、死という希望を持つ。自爆して死ぬことだけに、自分の主張が出来る。このどうしようもない希望。絶望の奥にあった、死という希望。イスラム圏の問題は石油という資源の問題がある。努力して、能力があって、上の階層に行くわけではない。石油がたまたまあるから豊かになる。こうした富の偏在が、世界の不安定化を招いている。軍事力でさらなる競争をしたとしても、安定につながることはない。日本も銃を抱えていなければ眠れない国になろうとしている。日本の平和主義は世界の唯一の希望である。武力を持たなくとも、小国であろうとも、その国の文化によって、尊敬される国家として存在できる。日本は敗戦によって、アメリカに非武装平和の不思議な状況を与えられた。それがアメリカの良質な平和への希望であった。確かにこの平和主義は頼りないものだ。不安定なものだ。しかし、それ以外に世界には平和への道はないという事を知るべきだ。