省庁の地方移転

   

政府は地方創生の一環として、省庁の地方分散を提唱している。官僚の方は東京にしがみ付きたい一心のようで、事は進まないように見える。アベ政治の口先政治の姿である。東京集中に問題があることは確かなことなのだから、官僚の抵抗があろうが具体的に進める必要がある。文化庁が京都に移ることだけは決まったようだ。同時に皇室も京都に戻り、宮内庁も京都に移動することが望ましい。皇室が政治から距離を置くためにも重要である。日本の文化的象徴の価値を高めるためには政治からの距離は必要である。江戸時代、皇室は文をもって国を治めるという姿勢を貫き、文化人としての最高峰の位置を確立した。このことが江戸時代の文化の奥行きとなり、日本の文化的確立がなされたと考えている。武力的権力が江戸幕府であるなる。文化的な支配力を持った皇室。日本が瑞穂の国として、田んぼを単なる生産の場としてだけではなく、神の宿る場所として尊重した日本の里山文化の成立。

それが、日本全体に及び、水土でつながる日本人の心根を育くんだ。瑞穂の国の文化は田んぼという、食糧の基本的生産が土地に結びつき、集落単位の暮らしを必要とし、それが地域全体を守り育てるという里山文化を形成することになる。それは微妙に宗教とも違うが、日本教ともいえる日本独自の統一感を生んだといえる。皇室はその文化の祭祀を担う神官でもある。神官には男女の役割がそれぞれにあり、国連から男女差別を言われる筋合いはない。原始宗教につながる土俗的信仰を内包したままの自然崇拝。木や石をそのまま神として見る感覚。そして、科学的ともいえる水土技術を育み、日本は瑞穂の国として成立する。田んぼを含む理想郷を目指し続ける集落を中止とした意識が日本人の根底に出来上がる。修学院離宮にその姿がある。天皇家は京都に戻り、京都御所と修学院離宮のような形で暮らされることが日本らしい姿のではないかと思う。

次に考えるべきは沖縄である。沖縄はその立脚に琉球王朝という独立国としての歴史を持つ、日本においては特別な地域である。沖縄は武力無く国家を治めるため、その文化的教養を高めた国である。美の国である。むしろ今に至っては沖縄こそ古き良き日本の原型が残されていると感ずる。日本というより人間という方が良いのだろう。沖縄に観光庁を置く必要がある。沖縄は日本国というものに対する疑問を感じ始めている。沖縄のアイデンティティが選挙の争点になる状況である。日本国との距離を感じているという事である。琉球王国であった時代が長かったのだから、当然のことでもある。しかし、沖縄はすでに縄文時代から日本人が暮らしてきた地域である。沖縄に行くと、むしろその意味で日本を再発見する事となる。その瑞穂の国としてのうるわしさは格別である。だから観光庁は沖縄にすべきだ。そして観光立県沖縄を目指すのはどうだろうか。石垣島には素晴らしい田んぼがある。田んぼを本島に復活させるべきだ。基地を返してもらい、田んぼを作る。

沖縄に田んぼがなくなったことで日本的な文化が衰退する。まだ田んぼの記憶のある間に田んぼを少しでも復活させることだ。石垣島に行くとなぜ日本が瑞穂の国であるのかという事がわかる。稲作はこの先国際競争には耐えられない。それは、肉牛もサトウキビも同じ運命と考えておいた方が良い。経済一辺倒ではない価値観で沖縄という水土を見直すべきだ。沖縄ではお米は自給できた時代がある。サトウキビや南国の果樹もいい。沖縄に自然と調和した日本人の暮らしを復活させる。それを観光の中心に据えたらどうだろうか。この先日本農業全体が世界の競争にさらされる。農業全体を守ることはできないだろう。沖縄を伝統農業保存地区として設定。日本の伝統農業は必ず世界から見直されることになる。経済性だけでないかけがえのないものがある。と言いながらも、そういうことは沖縄の人が決めることなのだろう。沖縄が好き過ぎてつい余計なことを考えてしまう。

 

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