自給力の向上のために
自給力向上には方向の定まった努力が必要だ。1、自然を感じる感覚を磨くこと。2、科学的思考を深めること。3、実行力を継続すること。感が悪いとなかなか大変である。以前田んぼの水管理を説明した。地面が出ているので、もっと水を深くしなければ草が出てしまうと話したら、入水口から水を多く入れるようにした人がいた。いくら水を増やしても水位が上がらないという連絡があって行ってみると、排水口を上げることは考えなかったわけだ。勘所が違っている。一を教えられ、十のことに気づくような感の良さが自給力には必要だ。感じる力を養うには、感じることのままに生きる訓練が必要である。嫌なことは嫌と言える暮らしを貫く事ではないか。嫌なことを我慢している習慣が身につくと、感が悪くなる。要領よく楽で確かな方法を見つけることがないからだ。言われたことをひたすらたどることになる。好きなことをやる。絵を描くとか、音楽をやるというのはまさに感性を育てることになる。感性には結論がなく、自分の良いというところを発見し想像し続けることなのだろう。
科学的思考とは明日の天気が読めるという事になる。感だけでは明日の天気は外れる。天気図を読める科学性である。過去のデーターにさかのぼれる思考力である。天気予報士は科学を駆使して明日の天気を予想する。自給をするものは自分の住んでいるところの天気を高い確率で予想できなければならない。そこでは、肌感覚も加えた総合力が重要になる。データーを集める能力も必要だ。パソコンで情報を集めることができるようになれば確率が高まる。加えて自然の観察である。虫の様子や雲の流れ、風向きや日照の強さ。あらゆることを総合すれば明日の天気を当てる確率が高まる。天気は例えである。自給力は作物の明日を読む力である。いつ種を蒔くか。いつ草取りをするか。いつ土寄せをするか。いつ追肥をするか。畝たてをどうするか。収穫はいつになるか。すべて過去の蓄積を踏まえた読みである。読みを裏付ける科学的思考力である。それでも失敗を繰り返すわけだが。その失敗を読み解く能力が科学性である。取れなかったら食べれない本気状態で、思考する。
そして、実行力である。どれほど感が良く、科学的思考が出来ても、行動を継続する力がなければ自給はできない。自給など近所のおばあさんがみんなやっていると馬鹿にした人がいた。おばあさんの持続力を甘く見ているのだ。自給は表面を撫でていれば退屈なものだ。考えているところから行動に入るには壁がある。単調な農作業を面白いものという目で見えるようになれば持続力が高まる。同じようなことの繰り返しが、実はすべて初めてのことなのだ。日々思いもよらないことの連続であれば、発見の日々だ。そうなれば退屈どころでなく持続できる。行動が行動を広げ、自然界に起こるあらゆる事象を、生き生きとしたものとしてとらえられることになる。視点が変えられるかが行動に繋げるカギになる。受け身の楽しさに慣れさせられているので、なかなか、行動する面白さにたどり着けないものだ。工夫することの面白さを知れば、畑ほど面白い場所がないことに気づくはずだ。
この3つを意識して高めることが、自給力向上になる。奥は深いものだと思う。もう30年近く自給を模索してきたわけだが、いまだ力不足である。それでも、若い頃は不足分を体力で補う事が出来た。そして今は、蓄積した知識で何とかまだ乗り切れている。作業時間は昔の半分で済むようになっている。その大きな要素は良い仲間が出来たことだ。助け合うことができる。私が役に立つこともまだあるし、助けられることもある。一日1時間もかからない自給生活になっている。仲間が出来たから、自給生活に張り合いもあるし、楽しい農作業である。3%しかいない自給に興味のある人がうまく集まることが重要だ。小田原の人口からして、6,000人は自給に興味を持つ人はいる。その100人に一人が気が合うとしても、60人は同じ志の人がいるはずである。そういう人と出会えるかどうかは天命なのだろう。