味噌づくり
2016/04/05
夜が明けてきた。味噌づくりを毎年やっている、大井町の小宮農園。手前の白いお化けのようなものは、小林さんという方の大理石彫刻。形が抽象化されて面白い。
今年もよい味噌づくりが出来た。いつも気持ちの良い味噌づくりができる。こんな暮らしができるという事が、幸福というものだと思う。毎年良い味噌づくりが出来るということは、幸運が折り重なっているのだと思う。毎年同じようでいて、やはり一期一会である。今年も初めての人が、5,6人はいた。今年はカナダからの留学生の方が、3人見学に見えた。吉野さんの紹介である。吉野さんはもう10年以上前から農の会のことに関心を持ってくれている、研究者の方なのだ。先日やはり生徒さんと一緒に、農の会の最近の状況を聞き取りに見えた。その時、農の会のことが一番よく分かるのは、活動に参加してみることだと話した。言葉で一面を切り取っても、それはある視点からの断面であって、どんな形で農の会が成立しているかはわかりにくいと思うと話した。今回、その時の一人の方が、友人と3人で見えた。農の会の成立の理由をとても不思議がっていたので、今回少しわかってもらえたのではないかと思っている。
前日に100キロの大豆を仕込み、早朝大釜に、火を入れる。
17日に麹を仕込んだ。10人ほどの方と持ち寄った麹の出来を比較した。今年はみんながとても出来が良かった。特に、山田錦を使った麹は確かに良い。特に驚いたのは、太田さんが山田錦麹で、甘酒を作ってきてくれたのだが。こんなに濃厚な甘酒は初めてだった。あの有名な箱根の甘酒茶屋の甘酒より甘かった。年々、麹の仕込みの腕が上がっている感じだ。急に冷え込んできた天候と前日の雨という、絶好の気象条件もあるのかもしれない。きっと良い味噌が出来ることだろう。お米は良く水に浸す。良く水を切る。高温で十分に蒸す。種付けは十分力を入れて揉み込む。そして米袋方式である。あとは温度管理。発酵の腕が上がるという事が、自給生活の基本である。味噌豆は10時ころには柔らかく煮えていた。味噌豆の煮方もずいぶん上手になったものだ。大釜で焦げ付かせず、しかも煮上がりでほとんど水は残っていない。大豆をざるで水を切りながら配布する。これが大騒ぎであった。ほぼ12時30分には、味噌の仕込みが終わった。
今年は借りた、イギリス製という手動のハンドミキサーで豆をつぶさせてもらった。いつもは足で踏んでいるのだが、ミキサーでやっている人がいたので試しにやらせてもらった。上手くできるようなら、電動のミンチの機械があるので、それを使うのもいいかと思う。確かにすべすべのマロングラッセのようだが、豆の形がある程度残っているのが好みなので、出来上がりどうだろうか。分かるのは2年後である。毎年天候には恵まれているのだが、今年も晴れ上がった。大島はもちろん、式根島、利島まで見えた。富士山はすっかりと雪をかぶり天空にそびえる。相変らず威厳がある。富士山に見守られているというのは、少し怖い気がする。
こうした味噌づくりは、子供の頃は村々で当たり前に行われていたことだ。味噌を食べなくなったという事もあるだろう。食そのものが変わってしまった。暮らしが変わり、食べ物は購入するものになった。その大きな流れを変えることは出来ないだろうが、食の自給に興味を持つ人が集まり、協力して自給の技術を引き継いで行くこと。ますます大切なことになってきた気がする。自給の背景にある暮らしの意味の確認。次の世代の人が興味を持って続けられる形を見つける必要がある。農の会でやっている味噌づくりにある「幸せの空気感」にこそ継続のヒントがあると思っている。やれる人が、普通に、無理なく力を貸す形なのだと思う。それは人の為というようなものではなく、それぞれが楽しい場所を見つけて、力を寄せ合う事なのだと思う。赤ちゃんが泣いていることも、味噌づくりの役割があるというようなことは、言葉では伝わらないが。ことしはタングドラムを持って行った。幸せの音が鳴り響いて気分が良かった。