傾斜地農業

   

周囲に家が出来てきた。緩い傾斜があり、この中にも微妙な変化がある。麦が出てきているが、その出方にわずかな違いがみられる。

自給農業の農地は傾斜地の方がむしろ良い。地表には気流が起こり、地中には水の流れが生じるから、傾斜地であることは極めて大切なことになる。動きがあるという事は、そこに力が生じ、作物に何らかの影響がある。この影響を上手く導くことが出来れば、健全な作物が生育することになる。自然の地面にはわずかなうねりがあるものだ。このうねりは何万年の年月によって、環境的に出来上がったものだ。農業をすることで、高いところが低いところに移動することになる。そのわずかな変更が、意外に長く作物の出来に影響する。例えば風によってできた吹き溜まりには、他とは違う蓄積が起きている。当然水もその窪地に集まることになる。水の道というものがある。それは地上ばかりでなく、地中にも存在している。自然によって土壌というものは変化が生まれている。大きな機械力を使わない農業では、このわずかな違いが作物の出来に影響をする。

日照というものが作物の出来に影響を与えることは、目に見えるものだ。電柱一本が畑の作物に変化を与えていることは、見ればわかることだ。畑の傾斜にはある複雑な影響があるが気づきにくい。それは田んぼが平らだと言っても、同様のことで、田んぼ自体がどのような傾斜の中に切られ作られているかという事は、水管理の着目点である。大きな地形というものが、畑には重要なことになる。大規模機械化農業では傾斜地は、不利条件になるのかもしれないが、自給農業においては、緩い傾斜は必要なことである。その傾斜の方向は当然のことながら南向きが良い。そして背景に山があればなおいい。山の方向から、良いものが畑に流れ落ちてくる。山の頂上は良くない。何もたまらない場所で、すべてが下に流れ落ちてしまっている。山の頂上は気も再生しにくい。だからはげ山になりやすい。頂上の木は切ってはならないものだ。

平らに見える斜面であっても、その平らな中に、元は下がっていたというか、水のような地形があるはずだ。平均的に平らな場所などというのはないものだ。水が流れれば、必ず水の道が出来ている。同様に、風が吹けば風の通り道もできている。こういうことは何万年かけてできたことで、それがどんな土壌を作ったかを観察する。古い時代に畑化された場所であれば、土壌の耕作がその自然の作った、土壌の傾斜とどのようにかかわったかを見つけることができる。その変化を読み取ってどうなるという事でもないのだが、作物の出来に何らかの影響を与えていることがある。良くできた原因、ダメだった原因、畑で起こる様々な不思議を解読してゆくヒントになる。畑には不思議に良くない場所というところがあったりする。作りにくい、おかしな草が生える、虫が出やすい、病気が出る、1反の畑でもそこは様々な違いがあり、その違いには何かの原因がある。大したことではないかもしれないが、それを読み解くことあ、自給農業の技術を向上させることになる。

ほうれん草というものがある。酸性土壌ではうまく作れない作物である。これをあちこち場所を変えて撒いてみる。実に出来が違ってくる。石灰を蒔けば土が良くなると一般に言われる。酸性の調和に即効性がある。それは人間の体に即効性のある薬を使うという事と同じだ。当面直るのだけど、原因はよく分からないことになる。また同じことになる。さらに石灰を入れる。こうして土壌は混乱をしてゆく。そこにほうれん草ができないなら、出来るようになるまで、他の物を作り、土壌を育ててゆくことだ。堆肥を使う耕作をしていれば、だんだんにほうれん草ができるようになる。5年はかかるかもしれないが、土壌の調和がとれてきた証拠である。作物は土壌を観察する材料になる。ほうれん草が5年間くらいだめだとしても、もっと得るものがある。

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