石垣の民謡ライブの「結風」

   

おもと岳山腹の川

石垣では三線ライブのお店、「結風」にも行った。ここは3人の若者が、ドラムとギターと、三線の唄者大城健さんという組み合わせで、唄っている。ウサギ屋さんと同じで観光客向けのお店である。ときどき大阪方面に3人で、ライブに出かけるといわれていた。エレキ三線である。三線演奏レベルの高度な人である。速弾き系である。ベンチャーズ歌謡のようなものを見せていた。何かリクエストがあるかといわれたので、大島さんのものとお願いした。通じなかったので、安克さんのものと言ったら、通じた。イラヨイ月夜浜を歌ってくれた。大島さんより上手かったぐらいだ。上手いからいいというわけではないのだが。この歌にある悲しみのようなものが、人間の悲しみの根源にある、何かという感じが、大島さんの歌からは響いてくる。ビギンの「島人ぬ宝」をうたった。これは実によかった。石垣島の唄だということが、切々とわかった。その土地で聞くことで、心のどこかがほどけてくるようだった。

「僕が生まれた この島の空を 僕はどれくらい 知っているんだろう 輝く星も 流れる雲も 名前を聞かれても わからない 」誰も生まれ故郷のことを分かったとは言えない。日本人に生まれても、日本の水土について分かることはなかなか難しい。それはつまり、自己確認ということが難しい時代ということなのだろう。生涯生まれた土地以外知らない時代であれば、その土地に生きる自分というものについては、何者であるかはわかっている。ご先祖に見守られて、子孫に託す明確な価値観を持って、生きることができた。結風の若者たちは、メジャーになる夢が溢れ出ていた。それが島人のバイタリティーというか、その勢いで盛り上がり、盛り下がる。石垣の人はくっきりしている。あいまいでない。ここが国境の島であったということを感じさせてくれる。

石垣島は世界で一番美しい島と言えるのかもしれない。この島を国立公園に編入するという環境庁の方針があり、反対運動が島にはある。島の農業の展開と、国立公園が相いれないものがある。マングローブ林を切り開いて田んぼにしてきた島である。そして、お米を外部に販売までできたのである。豊かな島なのだ。石垣牛を飼育する若い人が沢山見受けられた。ジャングルを切り開いて牧場を作っている。今年は、仔牛の値段が過去最高だと、八重山毎日新聞には出ていた。仔牛の生産をしている牧場もあった。八重山上布というものがあった。一時、八重山上布は粗悪品の代名詞になってしまったらしい。売れ出した時に頻出を落として大量に販売した。そのために、途絶えてしまったという。一方で、宮古上布は何とか頻出を保ったとある。そして今も宮古上布は最高のものとしての評価を保っている。現在の石垣の織物はミンサー織である。これは伝統工芸というより、創作模様に見える。もっと美しい伝統の柄があるのに、少し残念な気分だ。

結風の若者は、石垣を語っていた。茶髪の三線唄者大城さんの自己アピールが一番石垣を感じさせてくれたのかもしれない。終わってカウンターに座っていた時の表情にどこか遠くにいるような感じがした。石垣はいいところだ。しかし、そこで生まれたものにはまたその景色も違うのではなかろうか。ダイビングに来る人がたくさん来ていた。観光客と言ってもある種の傾向が感じられる。島の若者としては、少し抵抗がある感じかもしれない。余計なお世話に違いない。三線を持って石垣に言ったのだが、どなたにも教えていただくことが出来なかった。体験教室というのは、初めて三線を手に取る人向けでだめ。お願いしていた先生は病気でダメ。いろいろ案内に出ている指導の方をお願いしたのだが、結局どなたにも見てもらえなかった。

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