66歳の誕生日

   

昨日は66歳の誕生日だった。65歳になって隠居し、一年がたった。だから今やっていることは隠居仕事である。少々ボケが入っているのは許してもらわなければならない。とかなんとか言い訳で無責任になって、やりたいことに専念したいのだ。自給農業をしながら、絵を描くという身勝手生活である。まだ隠居一年目なので、完全には浮世の義理が断ち切れず、まだ公民館長である。早く終わりにしなければならない。最近できる限り、作務衣を着ている。本当は和服生活に入りたいのだが、まだ抵抗感があってできない。これがまだ隠居になり切っていない表れだろう。作務衣で済みそうなところには作務衣で出かける。そのうち、和服でも出歩けるようになれるかと考えている。和服が素晴らしい日本文化だと考えるからだ。素晴らしいと思いながら、着ないでいるというのも信条に反する。おかしい人と見られるだろうという感じをまだ乗り越えられないでいる。僧侶のことを異形の人と武田泰淳氏は書いていた。私の子供のころは和服の人は普通にいたが、今は花火大会の浴衣ぐらいだ。

隠居になって始めたのは、三線である。毎日やっているが、楽しいものだ。チャボを飼おうかなど考えている。チャボなら本当に好きなのは、赤笹のチャボである。千葉の茂原のほうだったの思うのだが、笹毛のチャボの作出に熱中している人がいた。今はどうされただろうか。何しろ毎年1000個の卵を孵化して2,3羽を選抜しているといわれていた。私より年下だったので、まだやめたわけはないと思うのだが。金魚にも関心がある。昔は江戸錦の作出が興味があった。よく江戸川のほうの金魚屋に行った。弥冨にも行った。金魚を飼っていたころ、ランチュウの次ということで、三色らんちゅうとでもいうべき江戸錦が出てきた。その後、江戸錦はどうなったかと思ってネットを見てみたが、やはりランチュウのレベルまでは行かない。驚いたことに、中国の江戸錦が入ってきている。たぶん中国には昔から江戸錦に当たる金魚がいたのだろう。気楽なことをあれこれやっているのは、逃げである。隠居と自分のことを言うのも逃げである。

自分のなりたい自分に近づけたかである。そぎ落としていよいよ、本当に絵を描く自分になれるかということである。それを考えると、もう他のことにかかわっている時間はないという切迫感がある。目も悪くなってきた。緑内障である。いつまで、どの程度見えるのか。絵を描ける時間は限られている。結論を出さなければならない。この感じは小学生ぐらいのことから繋がっている気分だ。何かに追われている感じがある。親の期待なのだろうか。子供のころから絵が好きでよく描いた。小学校のころ田舎の暮らしと都会の暮らしという、不思議な行ったり来たりしていた私のためのような絵のコンクールがあって、出品して大賞をもらった。中学生のころには本気で絵描きになる気でいた。同じ年のピカソのデッサンを見て、このくらいは描けると挑戦していた。

日暮れて途遠しとはよく言ったものだ。この調子では自分のなりたい自分にまで到着できるとは思えない。目的とする自分には、一向に近づくことができない。人生の目的というものは達成出来ないものであるにしても、行けるところまで行ってみたい。青い鳥が家にいたというような、ばかばかしい話は自分には持てない。自分というものの感触を、自分が見ているということを通して、どこまで近づけるかということである。田んぼをやっていると、昨年まで気づかなかったことに気づく。絵を描いていても、そうだったのかという発見がある。それは若い頃より少なくなったということでもない。なんとなくだが、最近のほうが絵では気づくことが増えてきている。もしかしたら自分の目指すものが、案外にそばにあるような気もする。

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