和紙のユネスコ無形遺産

   

足柄平野 中盤全紙 手前の赤い塊は竹だ。竹が赤い訳が無いが、赤くく描く方がいいと考えた。緑と赤はそういう関係になる事がある。何故だか良く分からないが、補色だからかもしれない。

和紙が和食についで、ユネスコの無形遺産に登録される方向の様だ。当然のことだと思う。和紙の洗練された技術は、世界屈指の紙作りの技術である。ルネッサンスヨーロッパでも評価が高かったという位の紙なのだ。レンブラントが使ったと言われている。何故、日本の和紙が優れているかと言えば、日本の水土が紙づくりに適合しているからだ。そして、稲作を行う里山の暮らしが洗練させてきた技術だ。この暮らしが日本人の繊細な感性を作り上げた。和食と言い、和紙と言い、日本人の伝統的な暮らしがもたらした、奥行きのある微妙さは格別なものだ。そうした日本人の文化は稲作を基本として出来上がっていたことが分る。和紙も、稲作も、中国から渡ってきたものだ。古代中国人は紙の製法を編み出した。素晴らしい紙が出来たからこそ、中国の文明や思想が深まったとも言える。しかし、日本に伝わった紙の製法は、日本人の繊細な感性が磨きをかけ、和紙と言う日本人を反映するものにまで洗練し、和紙を生んだ。

和紙を作る技術は、水土をコントロールする技術が無ければ、発達しないものである。水土を制御する技術を天皇家が保持し、その技術を日本と言う稲作の国を作り上げて行く根本としたのではないか、と考えている。紙と言う文化と製造の技術は、中国から伝わり、日本全土に広がってゆく。稲作と同じ事である。紙と文字と言うものが無ければ、広い地域を統治すると言うことはできない。文字は政治を広げてゆく道具である。和紙は日本の紙だと誰もが感ずるだろう。水彩紙はヨーロッパの紙である。和紙と同様に手漉きのものなのだが、その作り方にはいくつかの違いがある。まず材料的に水彩紙は綿花と言う栽培する作物から作られる。一度布として利用された後、もう一度叩きほぐし、ラグという繊維を取り出し、これを紙の原料とする。中国の宣紙は画宣紙と日本では呼ばれ、青檀樹皮と稲藁の混合で作られているが、きめ細かい事が特徴である。和紙は麻、楮、三椏、雁皮、竹、稲藁など繊維が取れるものは何でも紙として使われる。素材感が強く残り、日本的風合いがある。

紙と言うものは不思議なもので、イタリアの紙であるファブリアーノ紙はどこかイタリアを感じさせる。インドの水彩紙はインドならではのものである。フランスのアルシュ水彩紙はいかにもフランス的と言える。和紙が日本的というのはそういうことなのだ。どこが日本的なのかと言われても困るのだが、和紙の風合いを日本的であると言って、異論のある人は少ないだろう。こうした何となく日本的。という世界こそ、年々失われてゆくものだ。日本人が里山の暮らしから離れることで、失われ始めた感覚である。危険な兆候である。よりナショナルであることが、インターナショナルである。日本と言う国柄が身についていない人間は、国際人とは言えないということなのだろう。日本人が文化的に評価される為には、日本文化を国際的な目で見直す所にある。ところが日本人の眼を失った人間に、世界に主張できるような文化を作り出せるわけがない。

こうした伝統的な技術が、先進国の中に残っていると言う所は、世界でもまれにみる特殊な国である。中国の宣紙は昔ほどのものは残っていない。柳田國男が民俗学を作り上げることが出来たのは、先端の学問的状況を持ちながら、伝統的習俗が一般の暮らしに充分にのこっているというという特殊な国柄にあった為である。ドイツなどで研究が進んだのは、民族学であり、異民族の未開発国の民族をを調査するという学問である。そこで生まれ育った人間が行う民俗学的な意味は、世界でも希有な事例であった。和食、和紙、そしてその背景にある伝統的稲作。それを支えた、里地里山の暮らし。これが日本の特殊性であり、世界の可能性だと思う。世界の競争が激化して、世界の崩壊は近づいている。その中で、不時着地点としての日本の文化こそ、日本人が見直し、再認識して行くべき価値あるものだろう。和食、和紙、里山の暮らし。どう守るかである。

 - 里地里山