貧困率
平戸の教会 中盤全紙 随分前に描いた絵である。それをまた引っ張り出して描いている。もう実際の所とは似ても似つかない絵になっているのかもしれない。
貧困率とは、一世帯の所得が平均値の半分に満たない人の割合がどのくらいいるかと言うことで、比較する数字である。例えば日本の一世帯の平均所得が、500万円だとすると、250万に満たない世帯を貧困世帯と考えて、その比率を表すことに成る。本当は平均所得ではなく、国民全体を所得順に並べて、その中央に位置する者の所得を中央値とする。その半分以下の人より、低所得の人を相対的貧困率の人と呼ぶらしい。子どもの貧困率という見方もある。貧困世帯に生活している17歳以下の子どもは15.7%。貧困の目安は、年間収入から税金や社会保険料を引いた「実際に使える金額」が4人世帯で250万円、3人で217万円。と言うことのようだ。しかし、この数字はあくまで比較上の数字で、世界各国の暮らし方の違いで、単純な比較はできない。特に工業化した先進国と、発展途上国とでは、貧困率だけで比べると、不自然な数値に成る。分りにくい数字なのだが、厚生労働省の説明をよく読む必要がある。
いずれにしても、日本はOECD加盟国中第2位と言うことである。アメリカたと肩を並べた格差大国に成ったということに成る。日本が貧乏な国でも仕方がないと思うが、格差が大きな国に成ったということには、全く失望する。1億総中流と言われた日本が、いつの間にか、格差大国に成っていたのだ。誰がこんなことを望んで頑張ってきたと言うのか。日本が間違った道を突き進んでいる。等価可処分所得の中央値の半分の額に当たる「貧困線」(2012年は122万円)に満たない世帯の割合を示す「相対的貧困率」は16.1%だった。これらの世帯で暮らす18歳未満の子どもを対象にした「子どもの貧困率」も16.3%となり、ともに過去最悪を更新した。日本人の6人に1人が貧困と言う恐ろしい数字だ。アメリカ型社会に日本が成ってきたということのようだ。
富裕層が徐々に増加する社会。端的にいえば、能力主義社会が徹底してきたということだろう。農村でも、横並びではなく、企業的営農農家は高収入を上げると言うことになる。優秀な農家の人が、豊かになる。当たり前のことのようだが、それが極端化してくると、暮らしにくい社会という事になる。アメリカのような社会は、慈善という精神がキリスト教精神からあるようだ。所が日本社会には、自業自得というような、自己責任と切り捨てる空気がある。これが格差社会を悲惨なものにしている。路上生活者の追い出しという事が全国で行われている。路上生活者に中学生が花火を投げたり、石を投げたりする。先日知り合いから聞いた話では、橋の上から、6,7人の鴨宮の中学生が、花火を投げていたという。女子も混ざっていて、自転車で遠征しているという。社会の空気が中学生にも影響しているのだと思う。中学生の中に自業自得だからいじめてもいいというような気持ちがある気がする。ひどいことだと思う。