地方創生の実際

   

山北の傾斜地の畑 中盤全紙 前に暮らしていた場所である。中々良い所だった。あそこから降りて来なかったらどうなっただろうと時々思う。

地方創生の深層は何を意味しているのだろうか。むかし、竹下内閣でもふるさと創生というのがあって、市町村単位で、1億円ばらまかれた事があった。あの目的は人気取りだったと思う。金塊を買った所とか、宝くじを買った町、温泉を掘った所とか、色々あったようだ。ふるさとは創生されたかと言えば、今また地方創生という位だから、ダメだったということだろう。何がダメなのかと言えば、創生という発想に限界がある。本来ふるさとや、地方は何千年存在してきたものだ。新たに何を作るのかという事のはずがない。むしろ、再生である。再興である。ふるさと復活である。人の住んでいない地域に、都市を作るというような話ではないという点を踏まえないと、地方を本当に考えたことにはならない。伝統があり、歴史がある。それを踏まえない限り、人の暮らしが良くなるということはないはずだ。

農文協の出している、季刊地域の19号では、地方の再生がテーマに成っている。あの日本創成会議·人口減少問題検討分科会の市町村消滅予測を否定している。私は地方は消滅するという予測の方が正しいと考えている。たぶん多くの地方で生きてきた人達の実感に近い気がする。日本創成会議では若い女性が都会に出て行くのかどうか。これを消滅の分かれ目としている。田園回帰とか、定年帰農とか、色々農文協から新語が提案された。そして、実際に都市から地方に移住する若者も一定数いる。私達の所に移住する仲間もいる。地方に移住した友人から、どんどん新しい人が来るから、地方は消滅しないという声も聞くことがある。それでも地方消滅の大勢は変わらないだろうと見ている。3%までである。100万人若者が居て、3万人まではどんな選択でもするということだ。3万人は大きな数字である。若者誘致の先駆的地域にその3万人は導かれる。そのけっか、ある地方では維持できるように見えてくる。

あえて地方創生でもいいが、若い女性の働きたくなるような場をどれほど作り出せるかが、地方の再生の鍵である。この1点にかかっている。この場合、男の仕事はどうでもいい。田中角栄はキャバレーやパチンコ屋が無いから、若者が都会に出て行くと言ったが、結果から見れば男の問題ではなかったのだ。安倍内閣は女性の社会進出を掲げている。これはさらに都会に女性が出て行くことに成る。女性が働きたくなるような地方社会を、どうすれば作れるかである。地方の地域社会では、男の自治会長しかいない。畑で働いている人も女性の方が多い。実際は女性の頑張りで地域社会は維持されている。しかし、女性が地域社会で出張ることは嫌われる気分がある。こういう気分のある社会より、都会の方が自由な気分がある。女性には都会で働く場がある。結婚して都会に出る人もいる。男性には家督を継ぐという意識も残っていて、地域にとどまることもある。この辺の意識改革がない内は、若い女性が地方で暮らそうとは思わないのではないか。

政治家家族は東京暮らしということがある。安倍首相も大半の人生を東京でくらしている。選挙区は山口下関。これが今では地方の富裕層家族は都会暮らしが増えているらしい。都会にマンションを所有するということが結構あるらしい。これを書きながら何とか女性が地方にとどまる方策が無いかと思って書いてきたのだが、なかなか見つからない。果たして、安倍内閣は地方の公共事業以外に何か、方策を考えているのだろうか。コンクリートで男性の仕事を作っても、女性の憧れるような仕事を作らなくては地方は消滅する。ではどうするか。地方消滅も、人口減少も、よいこととして受け入れる。そして発想を逆転する。人口が少ないからこそ、自給農業が可能になる。少ない人数でこそできる地域と地域の連携を再構築する。江戸時代のことを考えれば、まだまだ人口は多すぎる。少なく成って、地方にまともな社会を再構築する。行政サービスなど期待しない自助の社会を作ればいい。日本社会のソフトランディング地点だ。

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