スコットランドの独立
畑からの明神岳 中盤全紙 この絵はもう少し描かないとだめだろう。どこで早めに描くのを止めるかということもあるが、やりたらないようでは話にならない。
スコットランドの独立投票が行われる。独立に賛成の人が多数に成るとは思えない。クリミヤが住民投票の結果、独立宣言を行った。これをウクライナは憲法違反だと主張して、独立を認めないとしている。そして、その考えを欧米諸国も支持している。一方、ロシアはクリミヤを独立国として認めたうえで、将来ロシアに組み込むいう考えのようだ。親ロシアは住民というものは、そもそもロシア人であったり、ソビエト連邦時代からロシアと深い関係が存在する人もいるはずだ。スコットランドでは、独立派が議会の多数派と成り、独立の是非を決める、住民投票を行うことになった。いよいよ選挙が迫っているが、スコットランドが独立するということは、英連邦の一員の様な、ニュージーランドや、オーストラリアの様な立場に成るということだろうか。一方にはドイツのように、東西に分かれていた分裂国家が、長年統一を悲願として、ついに成し遂げた国もある。イスラム国を名乗る集団は世界から戦闘員を集めて、現状1万5千人もいるらしい。国というより、テロ集団という事に成るのだろう。
労働者の受け入れの様な事を安倍政権は主張している。技術労働者の研修期間を10年にすべきという意見も、財界にはある。使える技術者に育てるには、10年はかかるということだ。10年も日本で暮らすということは、もう日本に暮らしの基盤ができると言うことで、移民とどこが違うのか不明である。10年日本にいて、当然日本人と結婚する人も増えるだろう。子供を連れてくれば、当然日本の教育を受けて、10年すれば、戻って本国の暮らしを再開するということも不可能に近い。経済の問題だけで、外国人を受け入れると言う結論に至る所が、アベノミックスなのだろう。移民と国家というものとの関係を、経済だけでなく考えておくべきだ。そもそも論に成るが、日本人というものはどう維持されて行くのかである。日本人とは日本文化を保持した人のことである。血液的に日本民族であるということも一つの要素であるが、それだけではないのは、日系人の孫世代が、日本人ではなくなる場合があることでも分る。日本人は案外あっさりと新しい国に溶け込む様だ。
日本でも、沖縄では現在でも一定の独立運動がある。これを中国の差し金だと、決めつける人もいるが、それは歴史を認識できない人なのだとおもう。沖縄の現状は独立運動が起きてもおかしくない状況と考えた方がいい。沖縄はそもそも独立した国家であった。江戸時代では、日本人という意識が、沖縄にもなかったし、江戸幕府も、薩摩藩も、外国を支配するという感覚だった。琉球国というものが、台湾まで示した時代もあり、国家というものが今と違う感覚でとらえられていた。やはり近代国家というものは、明治以降のことであり、琉球処分という明治政府の権力行使。日本編入ということによって、沖縄が国家として日本に所属するということになった。民俗学の研究が進むに従って、実は沖縄人はむしろ日本人の原形を残した人々であるということが解明されてきた。沖縄に残された方言は、むしろ古い時代日本人が話していた言葉が残っている。残された風俗にも、日本本土では失われたものが数多く残されている。DNAでも純粋な日本人であると解明されている。日本民族であるからといって、独立の希望があっていけないということではない。すべては住民の総意なのだろう。
日本国籍を有すれば日本人であるという、法律的な建前とは別に、日本人がどんな国を作り、どんなまとまり方をするのかということは、深い議論を永続的に行うべきことだ。どうもこのことがないがしろにされたまま、日本は瑞穂の国というようなレッテル言葉だけが、独り歩きしている。日本人と田んぼの結びつきには深い文化的背景がある。それが国際競争力のある農業論では、見過ごされている。日本商品の国際的評価は、瑞穂の国で研ぎ澄まされた、美意識であり、清浄感覚である。瑞穂に対する方向付けは安倍氏が持論なのだから、その意味合いを示さなくてはならない義務がある。国家というもは人間の暮らしにとってどういう意味があるのだろう。日本人は日本語を話し、日本食を食べ、日本的文化を体得している。それが日本だとするならば、すでにそういう日本人がどれくらいいるかと言えば、極めて減少しているのだろう。国がなくなるという理想は悪くはないが、民俗が地域に深く由来するということを失えば、国家としても、民族としても魅力も能力も衰退するということだと考える。