原発否定判決が出た。
黒姫山 10号 朝空が少しづつ明けてきた。朝色も目覚める。生まれ変わる。始めて色彩が見えた時の新鮮な感触。水墨から、色彩の世界に変わる時、色というものの価値と意味を知る。色即是空とは良く言ったものだ。
司法は生きていた。心ある裁判官が居た。日本の為にはそうあってもらわなければ困る。国内の原発訴訟で住民側が勝訴したのは、高速増殖原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の設置許可を無効とした二〇〇三年の名古屋高裁金沢支部判決と、北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の運転差し止めを命じた〇六年の金沢地裁判決だった。原発事故前には、司法は安全神話を補完する役割しか出来なかった。どう考えても危険きわなりないという、住民の訴えに対して、跳ね返す判決だけを行ってきた。そうして、福島原発の大事故を起こした。間違ってしまった司法判断には、大きな責任があるはずだ。原発問題にまともな判決が出せなかった裁判官には、失望を重ねてきた。柏崎刈谷の事故の際は、原発の安全性について見直す、ラストチャンスだったはずだ。しかし、司法は見直しが出来なかった。今回はりっぱな判決が出た。司法は生きていた。司法を動かすのは、住民運動だと言われた梶山弁護士の言葉を思い出した。勇気を持ってこうした、正しい判決が出された意義は、極めて大きい。
樋口裁判長は「生存を基礎とする人格権は憲法上の権利であり、法分野において最高の価値を持つ」と述べ、差し止めの判断基準として「新規制基準への適否ではなく、福島事故のような事態を招く具体的な危険性があるか」を挙げた。「使用済み核燃料も原子炉格納容器と同様に堅固な施設によって囲われてこそ初めて万全の措置と言える」判決は、福島第一原発の使用済み核燃料プールをめぐるトラブルで250キロ圏内の住民の避難が検討されたことを踏まえ、大飯原発から同じ距離圏内に住む原告166人について差し止め請求を認めた。判決文がメールで送られてきた。あまりに嬉しいことで、涙が出たというのだ。国会前で再稼働反対と叫んだ時のことを思い出した。何度叫んでも空しいと事だと思いながら帰ってきた。それでも我慢できずに、叫びに行ったのだが、司法だって福島事故で変わった。また変わらなければおかしい。何万人もの人がすでにふるさとを離れ、帰れる見込みすらない。今回の判決は、ごく普通の人間が、福島事故を経験した結果、当たり前に考える判決だ。
こんな事態を見ながらも、人が死ななかった大した事故ではない、との声が自民党から出てくる。そして安全基準を見直したとして、再稼動である。原子力村で日本を破滅に導こうとしている。地震国日本で二度と事故がないというのは、安全神話そのものだ。日本の様な地震国、火山国では、原発のような施設は無理なのだ。原発事故の不幸を幸いの機会に変えない限り、この国に未来はない。自然エネルギーの生産国になることだ。自然エネルギーの有効活用で、原子力のようなリスクのあるエネルギーを使わない国になる。そして、自然エネルギー施設の輸出国をめざす。それが平和憲法の国日本にふさわしい、未来産業に違いない。原発の背景には常に、原爆の影が存在する。核保有国による、力の政治だ。日本がそうした枠組みから抜け出て、新しい世界平和の道を示すことこそ、平和主義国家の道だ。
中国も、韓国も、日本の軍事強化に批判的だ。それなら、日本との間で一切の軍的脅威を無くす、平和同盟の様な努力を、互いに行うべきだろう。日本は侵略戦争をおこし、周辺国に多大な被害を与えた。そして原爆投下という、悲惨な結末を迎えた。敗戦という情けない結果から、経済的努力でやっと息を吹き返した。しかし、最近は、その行きすぎた経済主義の為に、原発再稼動、そして日米同盟の強化、核保有すら視野に入れ始めている。その為に大企業重視の政府は法人税の減税である。TPP締結である。原発に伴う、事故の悲惨な現実を忘れようとしている。判決では人の命と経済性を較べることすら否定した。温暖化問題よりも、放射能汚染問題の重大さを指摘している。政府も、関西電力も、平静を装うコメントを出している姿が却って、この判決を深刻に受け止めている証拠だ。原発0の道が少し見えてきた。