人口の減少と老齢化
海越しの鳥海山 10号 和紙 残雪、春。雪国の一番美しい季節。
日本の人口は減少傾向になった。この傾向は今後加速して行くだろう。特に老齢化が目立つ。4人に一人が65歳以上だという。もう何年もしない内に、3人に1人が老人の国になるということである。その実態は、小田原の久野の状況である。久野の社会福祉協議会のアンケート調査によると、3人に一人が65歳以上になっているとのことだ。悲観的に考えることは全くない。人口が減ることは別段悪いことではない。私は個人的には老人として、社会福祉から切り捨ててもらって構わないと思っている。日本の未来のことを考えたとき、子供たちのことの方がはるかに大切である。同じお金をかけるなら、子供たちに使ってもらいたい。それから、老人はとことん働き、力を出し切る必要がある。働き抜いて、死んでゆきたいと思う。楽をして遊び暮らした所で、一生。働き抜いて、死んでゆくのもあるなら、私は働き抜きたいと思っている。元気で一日も長く、迷惑にならない日々を送りたい。
人口が減少する分、技術が人間の手から機械に代わるだろう。だからそう人手不足を心配することもない。工事現場で労働力不足がいわれているが、もう人海戦術の時代でないということだ。農業分野でも、労働力を当てにしていたのでは、日本の国内では産業として成立しない。どうやって省力化するかを徹底して考えなければ、産業としての農業はないのだから、人口減少は良い機会ともいえる。農地のや山林の管理に関して言えば、日本人の暮らしの見直しである。江戸時代少ない人口で、今よりは環境のコントロールが出来ていたのだ。自然環境を受け入れて、その中でどのような暮らしが織り込めるか、江戸時代の永続農業を、現代の技術と融合させることが出来れば、日本の食糧自給ぐらい、何の心配もいらない。その意味でも、人口の減少は悪いことではない。自然を人口に改変するのでなく、自然を生かすことである。
私の知っていることで役立つことと言えば、自給技術である。これからの社会では、地方が老齢化し、空洞化して行く。その時にいくらかでも役立つ技術は、地域自給の技術である。年寄りでもやれる農業。要領よくやれる小さな農業。技術があれば、年寄りでも十分できるのが江戸時代の農業だ。今や、農業者の平均年齢が70歳を越えたという時代だ。こんな状況の中で、年寄りでも少しでもお役にたてるものがあれば、1年でも長くこの国土に恩返しをしなくてはならない。人口が減少してきているということは、悪いことばかりではない。国内で自給的に生きてゆこうとすれば、誰にでも可能な条件がそろってきた。例えば住宅でも、今更新たに作らなくとも、今あるものを大切に直してゆけば、充分に暮らせる。私が今住んでいる家は、今から、85年前に出来た家だ。充分に使えるし、たぶんあと50年くらいは何でもないだろう。手入れを続ければ、新しい家など作らずとも、日本人全体が収まるようになってきている。
資本主義的な拡大再生産を辞めることだ。そういう考えは、グローバル企業とそれに頼る政府にしてみたら、危険思想ということになる。しかし、人口が減少し、地方が放棄されてゆく現実を前にして、経済競争だけでは、切り捨てざる得ない地方があることを直視すべきだ。そうした、非効率に一見見える地域によって、総合的に日本という社会が成立してきた。この先、国際競争に敗れ、疲れる、側面が必ず出てくる。その時に、人間が癒され、育つ場所はどこにあるかを考えて置くべきだ。日本の多様で、豊かな自然環境こそ、素晴らしい日本人を作り上げた場所だ。この国土に生きる意味をもう一度見直す時代が来る。稲作を単なる生産技術としてではなく、人間の生き方として見つめ直す時が来る。それくらい、田んぼは奥が深いし、やりがいがある。そして日本人という、協調性があり、きめ細やかで豊かな感性を持った人間を作る場である。人口減少を前向きに考えよう。