従軍慰安婦問題
熱海の夜景 10号 熱海の夜景は色々の人が絵に描いている。それだけの面白さがある。
従軍慰安婦の問題は、歴史的事実であれ、でっち上げの虚偽であれ、話題になること自体が日本のマイナスに成る。日本政府としては、河野談話によって、話題には今後しないという認識が両者に合意できたという前提だったはずだ。同様に日中共同声明によって、日本の侵略戦争についても、賠償問題を含めて、一定の解決を見たということが、日本政府の認識にあった。ところが日本と友好的であることが、自国の成長に有意義な間は、確かに問題棚上げで、話題にしなかった。ところが経済力が付いて、日本たたきが自国の有利に働くとの認識に至ったとたん、手のひらを返したように、暗黙の了解はなかったことになった。日本政府は、完全に外交で敗北をしたということになった。日本という国が国際関係に擦れていない、うぶな国家ということなのだろう。良く欧米人はどれほど自分が悪い場合でも、謝らないという、あれである。誤ればその後の訴訟で不利になるという、経験則なのだろう。
しかし、日本政府は潔く、自らの非を認め謝罪をした。このことはむしろ日本人として、誇りをもって受け止めても良いことだ。日本の過去に問題があったことは、事実である。そのことを蒸し返し、あげつらう隣国の態度が、世界の常識に、どのように受け止められるかは、日本の態度いかんである。河野談話の作成の背景など再検討せずいた方が賢い選択である。いくら国際関係で不利になるからと言って、前言を翻すような行為は、却って墓穴を掘ることに成る。政府の関与いかんにかかわらず、従軍慰安婦問題自体が、日本のイメージ悪化が避けられないという、韓国の巧みな戦略にハマってゆくことに成るからである。これは橋下氏の発言がどう受け止められたかでも分る。事実がどこにあるかより、今話題にし、問題にすることが日本がど壺にはまる、愚かなことなのだ。この問題は、NHK会長のように、オランダがどうだとか、韓国ではどうだとか、言い募れば言い募るほど、墓穴を掘ることに成るように出来ている。
世界の正義を信じた方が良い。心配はいらない。日本が堂々と謝ることは謝り通せば、むしろ理解は広がるはずだ。従軍という意味と、慰安婦という意味の二つががある。日本的にいえば、こういう裏社会は阿吽の呼吸である。正式な通達の文章があるとか、ないとかではなく、軍隊とその周辺に存在する、女衒商人とのもたれ合いは、日本的に普通にあったと考えて当たり前である。軍人の意向を忖度して、露払い的に、虎の威を借る狐として、甘言をもちいて慰安婦集めをしていた。このことは想像して不自然とは思わない。強制連行である証拠があるのか、軍の命令があったのかという議論も、事実の所在よりも、軍が支配している戦争状態の前線に置いて、どういう空気が蔓延しているかは、誰だって想像できるだろう。証拠云々の問題ではないのだ。国会では、維新の会からの質問に答える形で、河野談話の背景調査をすることになった。現在の韓国の態度に対して、してやられた気持ちが分らない訳ではないが、止めた方が良い。やればやるほど泥沼にはまる。
むしろ未来志向の関係を取り戻すことだ。北朝鮮の核武装が東アジアでは、深刻な軍事力の脅威だ。日中韓の3国が仲たがいしている場合ではない。とりわけ、日本は平和主義憲法の国である。どうやって北朝鮮の軍事的冒険主義を、武力を発想せず緩和する事が出来るのかが、憲法によって政府に義務ずけられている外交努力のはずだ。無意味だと決めつけず、平和的努力を積み重ねる以外にない。隣国との対立を深め、軍事力の強化に色目を使うなどは、全く憲法の精神に反する。平和的努力を不断に行った上ならまだしも、平和的努力など一切せず、軍事力の増強、防衛装備の見直し、武器輸出の解禁、自衛権の解釈拡大。等を政府が発言しているのでは、憲法違反である。まず、行える平和的努力を見せてもらいたい。やりもせず、またやる方法も分らずに政権に居る必要はない。無駄なことだでは済まない危険な世界の状況である。