村の神社と靖国神社
明神岳 10号 私の家から一番近くにそびえる、箱根の外輪山である。いつも見てはいるのだが、あまり描くことはなかった。これからは描くことに成りそうな気がする。里山の暮らしのようなものが、絵を描く何かのような気がしてきている。
私の住んでいる舟原には、お堂が2つある。一つが熊野神社であり、昨日の23日には例大祭があった。もう一つが秋葉神社である。その他水神様もあるようだ。どちらも私の家と同じ斜面のすぐ近くにある。神社があるような場所というのは、昔から良い場所だと思い、越してくる材料になった。村々には鎮守の氏神様がおられる。部落を見守り、祖先の祈りのある神社である。日本人の信仰はお寺に象徴される死者を弔う宗教と、日々の暮らしの無事や、豊かな実りを願う神社信仰とがある。村の鎮守の神社というものは、原始宗教に始まったのだろう。自然に対する畏敬の念が根源にある。大木を祭ったり、湧水を祭ったりしている。山や川や海も信仰の対象に成っている。ある意味幸せにも、日本人は自然崇拝の形を残して現代まで来た、数少ない民族なのだと思う。こうした村に残る神社信仰は国家というものができる前の時代からあるもので、縄文人の抱いた祈りの思いと、かなり近い感覚で自然への畏敬の念を祭ってきたはずである。
明治時代に、大教院という宗教管理組織のもとに、神社を統括する意味の組織ができ、戦後神社庁という形で、統一組織を作っている。その下部組織が神奈川県にもあり、熊野神社という系列の神社も登録しているところもある。正式な宗教法人の神社として登録すると、何らかの位で位置付けられ、上納金を払うことになる。そこで、多くの地方の氏神は、宗教組織とは離れ、村の守り神という昔からの立場を維持した。舟原の熊野神社もそういう意味では宗教法人ではないし、氏子も総代も存在しない。本来の形に近いし、また、自治会が運営を行う上では都合も良い。地域によっては、公共団体に対して、信教の自由と齟齬するという訴訟もある。舟原の熊野神社例大祭には、和留沢に住んでいる、石間さんという神主の方に来ていただき、取り仕切っていただく。村の鎮守の例大祭としては、とても良い加減のお祭りだと思う。のどかに、それなりの厳粛を持って取り行われた。
沖縄に残る信仰の場が何もない場所であるという事を、岡本太郎氏が書いていた。何もないという清浄な場を信仰の場にする。それは自然神の御魂の降りる空間というものを信仰することであろう。日本人の幸せ感は、この原始的感情と結びついて、初めて安心に暮らすことが出来たからではないか。舟原でも熊野神社として、上級の機関に登録されず、宗教法人でないということには、知恵を感じる味わいがある。異論なく自治会主催で執り行われている。この曖昧さこそ、日本人的であり、神社信仰の土地の氏神という共通認識なのではないだろうか。
神社神道に対する信仰は仏教より当然古く、卑弥呼の時代から各地域に存在したのだろう。出雲の神は神話時代から、その部族の信仰として、集まるよりどころとしてあり、文物とともに、全国に広がってゆく。伊勢神宮に関しては、天皇家と稲作の広がりと強く結び付きながら、全国に広がったのだろう。それは経済や技術と結びつきながら、地域にある村の鎮守の神様的なものを、鎮撫しながら、重なりながら、先進技術としての説得力を持ち、経済を支配して行く。それが弥生時代の幕開けを意味するのだろう。天皇家もこの時代にその大陸からの稲作技術を普及しながら、日本全体にその勢力を広げたのだろう。それは当然、伊勢神宮の信仰も伴っていた。奈良時代になると律令制度が確立され、国府には、国分寺があり、神社も国の行政機関と連携、一体化したものとして、全国に配置されてゆく。相模の国一之宮は寒川神社である。土地の霊を祭るものと、律令制度によって各地の神社も政治権力下に置かれるようになってゆく。
靖国神社はこうした日本の神社の在りようにかぶさるように、明治初年に政府によって作られる。この明治政府の宗教利用、逆にいえば、宗教の政府への加担の形は、小河原正道著の近代日本の戦争と宗教に詳しく書かれている。靖国神社は戦没者を英霊として祭り、「国光発揮」「忠勇」「義烈」を掲げて明治帝国主義を支える神社として、国家政策的に作られる。この背景には、大教院という政府の宗教統制組織が存在し、近代国家として政教分離のものとに政治は行われるが、神社に関しては宗教ではないという立場を取りながら、土地の信仰を巧みに政治と関係させてゆく。朝鮮には日本式神社が1000近く作られることになる。靖国神社は軍隊によって祭礼は採りしきられ、軍人軍属を祭ることを目的として創建されたものである。その意味で、集落の鎮守に始まる神社とは、全く異質な神社である。明治政府としては神社でなければならなかった理由は、天皇を中心とした、国の運営を考えていたからだろう。神としての天皇家の存在がある。しかし、天皇家はそもそも、伊勢神宮を中心とした神社と密接に関係してきた。このあたりは異論も多く、長くなりすぎたので、またあらためて考えてみたいと思う。