農業委員会の廃止
山北大野山の豆柿 6号 お茶畑の中に一本大きな豆柿がある。秋になるとこれが見事である。
農業委員会の公選制は廃止されると言うことが具体的になってきた。農業委員が兼業農家や農協関係者である為に、農業の将来像が描けない。むしろ農業の展望を阻害しているのではないか、という政府の考えが示されている。確かに、農業委員会が、この状況に至るまで農地が放棄されるのを見過ごしてきた責任は重い。本来の農業委員会の目的は、地域農業の展望をになうことであったはずだ。農業委員会は、農地の転用、流用、貸借、売買の許認可を行うことで、農地の管理業務を行ってきた。そして、そうした監督が結果的に、農業の活性化の邪魔になっているというのが、政府の判断である。この現状を作り出したのが、かつての自民党であったのだが、政権交代があり、何故か過去の自らの政策を否定するようなことが出来るようになった。減反廃止に続いての、農業の大改革である。しかし、農業委員会を市町村長任命制にした所で、状況が何か変わる訳ではないことも、考えて置く必要がある。今の経費では専門家を雇用することはとてもできない。
農業を産業としての視点で見なければならない。行政主導にしてしまっての不安は、農家つぶし、農業つぶしにつながりかねない懸念だ。農業が他の産業と異なるのは、日本のお国柄の根本に農業があることだ。間接的に、直接的に日本の社会を形成してきた側面が農業にはある。現実的に地方の経済を支えてきたのは農業である。出稼ぎとか、集団就職とか、日本の近代化、高度成長の背景として、安定した農業を基盤とした地方社会の存在があったからである。労働力の供給源として、安定した農村社会が必要であったのだ。だから経済成長後の兼業農家が、農地を守ることが出来たし、日本独特の労働力の供給源に成ったのだろう。その労働力は、極めて質が高かった。近代産業が求める高度化された、工場技術者を兼ねることが可能な農業者であった。共同性や勤勉さ、学習能力に優れ、日本の産業を、兼業農家が支えたともいえる。しかし、そうした人材供給基盤が崩れ始めたのは、地方の社会が失われ始めたことにもよる。
限界集落が身近に存在する地方社会。展望が持てない地域の経済。弱い地域には、迷惑施設の誘致以外に道がないという、国全体のゆがみの増幅。農業はこの渦に飲み込まれている。そこに展望のないまま、現在、経済優先のTPP交渉が進んでいる。政府の口先では、農業分野の国際競争力が主張されている。その背景にある、稲作の条件としての、自然および社会的条件は無視されている。国際競争力の足りない原因を、農業者の努力と能力不足として、他産業からの参入によって可能性が開けるということが、政府の考えの裏付けのようだ。確かに、そういう側面がないとは言えないだろうが、稲作農業ということでいえば、農業者の力量は他国に負けるものではない。企業参入ということが、農業の産業としての合理化が考えられる訳だが、建設業でも、若い人たちが不足している。そもそも日本人が、身体を使う労働を嫌う傾向が強くなっているのだ。外国人労働者を雇用する農業企業が、日本での稲作を考える位なら、ベトナムやミャンマーで稲作を行うことを考えるはずだ。
農業委員会の公選制は廃止した所で、地方経済と農業の問題の何一つ解決はない。教育委員会改革と同じで、市町村長が委員を任命する形に、何かの解決があるとは思えない。小田原に於いて、市長が農業委員を任命した所で現状と変わるようなことは何もないだろう。市長であれ、市議会であれ、小田原の農業の展望を示してはいない。市長はオリーブで農業の再生ということを言っているが、真に受ける人がいるものだろうか。これを推進する農業委員を任命するようなことを本気なら行うだろう。市長は小田原有機農業協議会の代表である。農業委員に有機農業推進の委員を入れるということが何かに成るだろうか。いずれにしても、農業政策の確立である。農業は他の産業と違うということを、考えておかなければならない。食料の一定量の自給は国家としての、軍事力以上の安全保障である。