冬季オリンピック
空と海と陸 5号 こんな感じの絵を莫大に描いている。何枚描いても何をやっているのかが分らない。それでもこの先に何かありそうな気がして、又描く。
冬季オリンピックでは、日本選手が素晴らしい活躍をしている。そして、その特徴は海外で暮らしている選手が多数を占めているということだ。オリンピックで上位の成績を取るような選手は、海外に暮らして海外のコーチに教わっている場合がままある。日本に暮らしの基盤を置いているにしても、海外の試合を転戦している人が多数だ。こういう選手でも、自分で費用をねん出するために、かなりの苦労をしているようだ。アルペン競技や、フィギヤー競技などでは、小さなときから特別な環境で、訓練を続けた人が普通だ。このことは、日本の国内のスポーツの環境を良くあらわしていると思う。金メダルをたくさんとって、国威を発揚しろと、政府は考えているが、それが精神論に成ってしまう。東京オリンピックの組織委員会会長の森元総理は、協議途中の浅田選手への暴言にそれが良く現われている。金メダル候補が失敗したことに対して、「あの子は大事な所でいつも転ぶ」という言い方であった。
選手に対する人間的な尊敬の念が全くない。日本人の大半の人は、金メダルの重圧が、浅田選手のプレッシャーに成ったと考えただろう。だから、そういう期待をかけすぎた、自分達の態度が問題だったのではなかと、可哀そうで涙したのではないか。それは、高梨選手の時もそう感じた人が多いのではないか。スポーツ界を運営する、部の人たちは。選手のスポーツする意味より金メダルの数なのだ。それは予算配分ということが、関係している。今の時代大きなお金をかけない限り、オリンピックで良い成績など、なかなか出せるものではない。特に巨大な施設の維持を必要とする、冬季オリンピックに於いては、長野市のように素晴らしい施設を作ったものの、その維持が出来ないという現状がある。ハーフパイプという、日本人がいくつものメダルを取った種目では、27台が現在運営されているそうだ。雪国の北陸、東北でもない県が多い。神奈川には2つあるが、東京・大阪・京都にはない。カーリングのリンクは45ある。その内、カーリング専門施設が11.
子供のころからやらなければ一流にはなれないのは、バレーや音楽でも同じである。それは開発すべき子供の頃ならではの能力ということもあるのだろう。たぶん絵もそうだと思う。子供のころから、素晴らしい絵が生活の周辺にある環境であれば、その後の絵画感覚も違うものになるだろう。つまらない絵が暮らしの中にあれば、そういうものを絵だと思い込んでしまうだろう。良い絵やよい音楽を子供のころ暮らしの周辺にあるということは、その後の情操に重要なことだと思う。オリンピック選手は特別な恵まれた才能のある人だ。そういう人が、子供の頃、何かに出会い、その道を極めるように生きる。それは素晴らしいことで、誰もがそういう環境で暮らせるようになりたい。しかし、そんなお金は普通はない。マチスの絵が家にある人などまずはいない。マチスの絵の印刷物でも良い。逆なことを言えば、くだらない絵が飾られていることは、情操をダメにしていることだ。
オリンピックで活躍するような日本選手が沢山いることは、素晴らしいことだと思う。そしてそのことが経済と密接に関係していることだということだ。精神主義だけではどうにもならないことだと思う。確かに施設のことや選手のサポートということもあるが、一番は指導者ではないか。その選手が求めるコーチに出会えること。活躍する選手の多くが、良いコーチを求めて世界中を歩いている。これは雲水修行のようなものだ。こうしたことが、選手のその後の生き方に生かされるものであることを願う。日本のスポーツ界を覆っているものは、森元総理のような感覚の人が多数である。柔道界で実態が垣間見えたようなろくでもない世界だ。素晴らしい現役選手が、その純粋な生き方を貫いてくれることを願うばかりである。