水彩画教室3

   

山北、傾斜地 5号 もともとは、横に連なったった作品だった。12枚で組に成る作品として描いていた。最近独立したものとして、少しづつ又描いている。掛け軸とか、短冊のような縦長の構図は従来日本では、普通の構図であった。床の間の成立と、関係しているのだろう。

絵を深めてゆくためには、絵を描くというそのことを深く考えなければならない。何のために、何をしているのかである。好きだからとか、面白いからとかいうのでは、絵を描く意味を確認したことにならない。たぶんそこに趣味の領域と、絵を描くことを人生の目的にする違いがあるのだろう。私の場合描かれた絵が役に立つものでなければならないという、呪縛に長いこと囚われてきた。絵が社会を変えてゆく役割を持つということである。そう思い込んで、ずいぶん長い間描いていた。絵が好きというより、社会を変えるためにはどうしたらいいかということが先にあって、人間が変わらなくてはならないということになった。人間が変わってゆくためには、方角を示す指針が必要だと考えた。それに基づき教育が行われる。その手段として絵というものがあると考えた。身近に絵を置くことで、少しづつ絵に示された価値観が浸透して行くと考えていた。そう頭で考えて絵を描いてきた。ところがそれがなかなか上手く行かず、結局のところ、現代社会に於いて、描かれた絵にそういう力はないというのが、結論になった。

弘法大師の言われるように、12年かけて正しい道を心に秘め、行脚の道を歩み始めている。まず、1年目は、今まで自分の身についてしまった。自分のくせのようなものを取り払おうと考えている。こういう絵が自分の絵だというような、狭い考えを取り払うことだ。自分らしい絵と今まで考えて来たものをどう抜け出せるのか。1年間でまるで違うところまできれいさっぱりとしたい。そういうことは何度も思ったことかもしれない。描きたいと感じるように描いてみている。そして何故そう描きたかったのかを考えてみている。前より良くなったと感じるのはどういう理由によるのかを、あれこれ考えてみている。それが自分の中に植え付けられた、先入観なのか。自然に近づいたとするなら、自然の何に近づいたのか、自然の何を絵に抜き出しているのか。これを洗い出してみようと考えている。言いかえれば、今やっていることは、過去の絵画というものから学んだものを、自然から学ぶものに置き換えようとしているのかもしれない。

次に、今までの60年生きてきた自分というものは何かというものを考えてみたい。畑や田んぼをやることが、絵を描くことだと考えたのが、40歳の時だ。それまでは、絵を深めるためには、今までの絵画を学び、絵をひたすら描けばいいと思っていた。40少し前に山の中に移住し、気が付いたのは、自分が描いている絵は、自分のものではないということだ。知識の寄せ集めで、自分の中から生み出されたものは少しもないということだった。今までどおりには描けなくなった。そして自分が美しいと感じるものをただただ描いてみようと考えた。これでは趣味ではないかという変な気持もある。美しいと感じるものが、絵画と何か関係があると考えた。それまで美しいというものは美術で、芸術はもう少し違うと思って描いてきた。自分が生きているのは、昨日の食べたものだということである。それなら、自分の食べるものを自分で作って、生まれ変わろうと考えた。生まれ変わればもう少しまともな絵にたどり着けるかもしれないと考えた。そのごは、絵を描くときは土を耕すように、農業をやる時は絵を描くようにを、心がけて進めてきた。

今年に入って、実際に絵を描いている。これは私にとっては久しぶりのことだ。たぶん30年ぶりくらいだろう。今までは、犬の散歩をしているときに、頭の中に絵を組み立て、絵を描いていた。畑を耕している時、眼を使って絵を描いていた。だから絵を実際に描くときには、20分で大体結論を描いた。それを今はただ、画面に向かって絵を描いている。こういうことは何十年振りだろう。このまま1年はこのやり方を続けるつもりだ。その結果がどこに行くのかは分からないが、1年後に次のことを考えようと思う。今は良い絵を描くとか、人にはどう見えるかよりも、自分が描きたいという気持ちをたどってみようと思っている。辿る先に絵があるということも忘れて、無心に描き続けることで身についてしまったものが取り去られることを期待している。結果を考えず、やってみる。

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