派遣法改定の理由

   

派遣法が改定されそうである。どうも非正規雇用を固定化できる法律のようだ。厚労省は12日、労働者派遣制度の見直しに関し、企業にとって現在最長3年となっている派遣受け入れ期間の上限を廃止し、3年ごとに労働者を入れ替えれば、同じ職場で継続的に派遣を利用し続けることができるとする骨子案を労働政策審議会の部会に示した。 これは改正ではなく明らかに改悪である。恐ろしい企業社会がいよいよ立ち上がり始めた。派遣労働者を少しでも正規社員にするために努力するのが、政治の役割のはずだ。ところが企業の都合だけを優先して、安倍政権は動いている。自由に非正規社員を雇用出来れば、企業の業績が上がるだろう。景気が良くなれば、少々の不満は収まるはずだ。利益が出れば、すべてが許される社会。これがアベノミクスの実態なのだろう。競争社会は能力別社会になる。能力が違うのだから、社会における階級が違うのは当然である。これを明確にしたのが派遣法の改定の理由である。

いよいよ、階層社会が、階級社会として固定化されることになる。企業にとって都合のよい能力がある人が、一部の上層階級として形成される社会が来た。そして大半のそうではない普通の人たちは、下層階級として固定されつつある。生活保護世帯の増加など、その結果が現われてきている。厚生省によると、安定していれば非正規であっても良いだろう。という考えのようだ。仲間に入れなが、文句を言わないなら続けて利用してあげる、という全く企業の論理だけを優先した考え方だ。様々な働き方を求める人が、社会にはいるのだから、自由度の高い働き方が望ましいということも理由になっている。上層階級に所属する企業の労働組合は、むしろ自分達の雇用が脅かされるのではないかというので、反対を表明しているにすぎない。非正規で頑張って働いていれば、もしかしたら正規雇用に変われるかもしれない。ということが単なる幻想であることが、ますますはっきりしてきた。

当然の成り行きだったのかもしれない。分りあえる価値観の共通する、自分達のグループをを作り上げる方向に進む他ない。これは20年前に農の会を立ち上げる時しきりに考えたことだ。分りあえる仲間を作る以外、能力別社会では、楽しく生き抜くすべがない。このように予測していた。価値観の共有できる世界を自分の周辺に見つけておかなければ、居場所がなくなる予感であった。この20年明らかにその傾向が強まった。地域社会全体が価値観の共有が出来ず、極めて形式的なものになりつつある。自治会にかかわりそのことが良くわかった。にもかかわらず、行政は、安上がりなボランティア組織のようにしか、市民組織を見ようとしない。自分達の暮らしを深めてゆく為には、互いで共同して、心の通じ合うグループを形成する以外にない。そして、その自分達の小さな社会は、巧みに既存社会の中に紛れ込んでゆく必要がある。既存の社会と遊離するのでなく、上手く社会の空隙に入り込みながら、軋轢を作らず。緩やかではあるが、強い価値観の共有のある組織である。

それは、企業正社員とか、派遣とか、非正規とか、そうした社会的階層を越えた関係の構築である。しかも反社会的なものでなく、むしろ、社会的に必要な活動である必要がある。その点耕作放棄地を利用した、環境運動としての農の会の役割は、社会に於いて必要とされている活動である。それを声高には叫ばないことである。静かに、個々参加者のの内なる価値観として、保つということになる。そのツールが農業である。耕作放棄地という、社会の空隙。農業という採算性のない分野。農地を守るということは、社会一般の価値感に対立しない。農業を行うということで、緩やかに連携し、社会奉仕的な活動でありながら、それぞれの思いを育てることが出来る、仲間づくり。こうした自分の仲間を見つけられるかどうかが、階級社会の中で、生き抜く方法に違いない。

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