女性の社会的地位

   

世界経済フォーラムは25日、2013年版の「男女格差報告」を発表、日本は調査対象となった136カ国中105位で、前年より順位を四つ下げた。順位低下は3年連続。

国連総会で、安倍氏は女性の地位向上を発言した。国会でも自慢げにそのことを報告している。しかし、現実の日本社会は、女性と男性の格差が、世界でも最悪国の一つである。近年ますますこの傾向は強まっている。原因は社会が逼塞気味で保守化しているせいだろう。格差社会が進んでいるということも、その要因になっている。安倍氏の女性の社会での活躍の期待は、アベノミックスからきている。労働者人口の減少を、女性の社会進出で補う必要があるという発想である。しかし、それだけで男女格差がなくなるかと言えば、そういうことではない。選挙で選ばれる国会議員であれば、男女が均衡して居て普通であるところが、はるかに男性数が多い。つまり、女性自身が今の立場を受け入れているということがある。中国は日本よりだいぶ上で、韓国は日本よりさらに低い。このことは日本の男女差別の原因の一端を表している。東アジアにある、文化的歴史を表している。儒教にある男尊女卑的傾向が、女性の社会進出を止めている。

伝統的家庭制度ということが、自民党から出てきた。それは正確にいえば、稲作を行う農家の姿であろう。伝統的農家は家族労働を必要としている。田起こしは男性、田植えは女性。が基本のようだ。地域の共同作業も存在しなければ成り立たないものである。そういう、安定した地域の成立があり、その基盤の上に家庭というものがある。こうした伝統自体が消えてしてしまった中で、いまさら伝統的家庭制度を持ち出す自民党議員の頑迷さは、驚異的である。政調会長の女性議員も、伝統的家庭が大切であると発言している。最高裁の判決に不満だそうだ。文科省の副大臣の西川京子氏も女性議員として、伝統的家庭生活を尊重すべきとして、最高裁判決を無視すべきと主張している。安倍氏のいう女性の社会進出を促すということとの、整合性はどうなるのか。このお二人は夫婦別姓については、どのような見解なのだろう。議員になってから、夫の名字に変わるとしたら、新しい名前で選挙に出て、不都合はないということだろうか。

政調会長は戸籍上の姓は“山本”、選挙に置いては旧姓の高市としている。にもかかわらず、夫婦別姓には反対をしている。この人の、伝統的家庭制度というものは、形式を守れということなのだろうか。女性が社会進出し、差別を抜け出るためには伝統的家庭制度など持ち出してはだめだ。そういうものをどう乗り越えるかについて、女性議員自らが主張して行くべき役割だろう。自分が差別社会の中で、優秀で乗り越えることが出来たのなら、後に続く人がやりやすい社会を作ることが使命のはずだ。ところがこうした人が、案外に女性の社会進出の歯止めになる。後から女性が続くことは自分の希少価値が下がるとでも考えてしまうのだろうか。

伝統的社会が失われ始めているのに、家庭だけは伝統的な良さを維持すべきとしても、それは不可能である。女性の社会進出が必要ということには、さすがに異論はないはずだ。どうすれば日本の伝統文化を維持できるかを、現実の中で提案するのが議員の務めである。どうやって伝統的地域社会を形成するのか。これこそ家庭以上に日本の伝統を維持してきたもののはずだ。農業法人が広がるなかで、地域の祭りの参加者が減少すると言われている。農村から農業が消えてゆくなかで、どうすれば地域社会というものの維持が可能なのか。具体的に提案して行く必要がある。西川氏のホームページの中ではそういう提案をしていない。ブログを読んでみてもそういう姿勢は感じられない。とするとこの人も愛人の子供が同じなど許せないという方なのだろうか。この発想は人権との関係を整理しなければならない。

 - Peace Cafe