秘密保全法の問題点
自由に発言が出来なくなるということが、一番良くない社会だ。自己規制である。自民党政府が制定しようといしている秘密保全法制の内容は、
○国の存立にとって重要な情報」を行政機関が「特別秘密」に指定する
○秘密を扱う人、その周辺の人々を政府が調査・管理する「適性評価制度」を導入する
○「特別秘密」を漏らした人、それを知ろうとした人を厳しく処罰する
こういう方向の法律らしい。
2010年に起きた尖閣諸島沖漁船衝突映像が、関係者からのインターネット流出したことがあった。こうしたことの再発防止ということのようだ。しかし、あの事件でも流出した映像が何か問題を起こしだであっただろうか。2011年の福島原発事故の映像もある。これははっきりとは出てこない。真相を国民が知るには、むしろ情報公開して行く必要がある。原子力関連の情報も、秘密保全法の対象となり、大学の研究者が研究の過程で知った、危険個所を発表すると、この秘密保全法の違反となる。研究者が自由に発言できなくなるということは、研究を妨げる法律になる。学問の自由が阻害される恐れがある。報道機関が原発事故の真実を知ろうとして取材をする。これも、秘密保全ということで制限される可能性が高い。また被害者たる国民が、事実を知らせろとデモをしたとしても、これも秘密保全法違反ということになりかねない。国民が等しく事実を知り、判断を出来る社会に向かうべきなのに、まるで政府にすべてをお任せする時代に逆行しようとしている。
自由に発言する。情報を共有する。このブログの目的でもある。人間だれしも社会に暮らしていれば、自己規制をしてしまう可能性がある。先日の襲撃に関する行政との話し合いも、書かないでおこうか迷った。しかし、書かないことのプラスと、マイナスを考えたら、書くべきだと判断した。報道機関など、福島原発事故で情報の規制をしたことを、パニックが起こさなかった原因と、自己評価している。とんでもない話だ。海外のメディアからの情報をインターネットで受けて、様々に発信された情報に、必死に食らいついたのが現実である。日本の報道機関が、いざという時には当てにならないということでは、戦時中の大本営発表を思い起こした。普通の人が、普通に発言する。自己規制なしに発言する。これがとても大切になってきている。私のようなものでも、あれこれつい配慮してしまう。これが『茶色の朝』の始まりになりかねない。知識はない。勉強も足りない。それでも、おかしいと感じたことは、何の配慮もなくどんどん書く。それで信用はなくなるし、確かに生きづらいことが起こる。それでも気にせず書く。社会にはそういう偏屈な、手に負えない、へそ曲がりも必要だと思う。
大体のことは、黙っていた方が上手く行くことが多い。しかし、そういう日本人的な在り方が、社会をおかしくし始めている気がする。お前みたいな者をモンスター市民と言うんだ。市役所のブラックリストに入っているなどとも言われた。内部的なことを何でも書くから、ブログを止めろと言われたこともある。笹村の前では、何でも書いてしまうから、何も言えないと言われたこともある。放射能のことでも、日常でそういうことをいつまでも、発言しているとおかしな奴扱いされる。放射能のことを書くと、風評被害を助長するということを言われる。自己規制という形の圧力がかかる。ここを乗り越えないといけない。おかしなやつで結構という居直りがないと、社会の見通しが悪くなる。権威とか、お上とか、訳のわからない人間関係で発言を封じるということが、日本の社会の悪弊としてある。おかしいことはおかしいと言える社会にしておく必要がある。それには、嫌われ者になってもいいから、言いたいことは発言する人間が居なくてはならないと考えているからだ。
秘密保全法は秘密を漏えいした人間に対する処罰であるが、政府は個人の秘密を把握しようということも同時に進めている。こちらはほぼ完了していると言ってもいい形で、変な奴を把握しようとしている。スノーデン氏がアメリカ政府の、外国政府の情報把握、および個人情報把握を暴露した事件がある。私はスノーデン氏に事実を公開してくれたことを感謝している。日本政府も当然アメリカ政府と変わらないことをしているはずだ。だからアメリカ政府に抗議すらしない。国民がこうした事実を知った上で、これからの情報管理をどうするかを検討すべきだ。知らぬが仏と仏様に祭り上げられている訳にはゆかない。私の知ったことは私が発信する。どこのだれもがこうした行為をすることで、情報は均されてゆく。