米の消費量の減少

   

 農林水産省は26日、国内主食米の2012年度(12年7月~13年6月)の消費量が前年度比4・3%減の779万トンと発表した。コメの消費量は1963年の1341万トンをピークに減少傾向が続いており、50年間で約4割減少した。1人当たりの消費量も、63年度の117キロ・グラムが11年度は58キロ・グラムと半減した。

この数字は私の家の米の消費量と同じである。中高年の2人が平均的消費量ということのようだ。主食が半減した民族などいるだろうか。ご飯を何杯も食べる子が元気な良い子だった。虚弱児童の私は、ご飯が食べられないのでいつもつらい思いをした。無理をして食べては下痢をしていた。しかし、あの頃のご飯には半分麦が入っていた。冷やご飯になると、すえた臭いが強くなって美味しいとは言えなかった。麦を入れる量は一割ぐらいづつ減って、最後お米だけのご飯になった。主食は3分の1ぐらいに減った食生活の変化と言える。その時は脚気にならないかが言われたものだ。貧しいからということもあったが、お米の配給制度ということもあった。米飯手帳というものを持って東京に集団就職した時代だ。今時の家庭ではお代わりを強いるようなことはないだろう。断捨離の意味を断シャリでご飯を食べない、食事の形態を言うのかと思っていた。

おかず中心の食生活。昔、おかずっ食いという言葉を聞いたことがある。ご飯をあまり食べないのはいいとしても、田んぼが半減したことになるのが極めて残念なことだ。日本という国のそもそもがおかしくなる。日本という国の魅力は、四季豊かな自然に囲まれ、海、山、川と多様な環境にある。その自然環境と一体になったような、里地里山での暮らし。そこで培われた繊細で、豊かな感性こそ日本人である。田んぼがなくなるということは、田んぼから誕生する多種多様な生き物が消える。そして、日本人が居なくなるということになる。これはあまりに残念なことだ。すでに日本人の多くが日本人ではないと思わざる得ないような状況に至っている。朝鮮人を汚い言葉でののしる集団が現れているらしいが、こんな人たちは、過去の日本人とは到底思えない。どこかの野蛮人がたまたま日本に居ついたような気がしてしまう。間違いなく田んぼの暮らしとは無縁な人たちだろう。

田んぼをやっていると、妥協的になる。諦めが肝心となる。完全主義は捨てざる得なくなる。昨年など、大水が出て一気にがけ崩れで、田んぼの一部が流されてしまった。それでも残った4分の3だけ補修を重ねながら、何とか収穫に結びつけた。苗も、田植えも、草取りも、流されてしまえば無駄になるが、諦めざる得ない。妥協的に安全第一で作業せざる得なかった。石垣が崩れるようなことは毎年あるが、毎年積み直すしかない。カニが毎日穴をあけるが、毎日穴をふさぐ以外にない。だからと言ってコンクリート化したいとは思わない。水も雨が降らなければ、足りないまま譲り合う暮らし方。水の限界まで田んぼを作る以上何年かに一度はそういうことになる。山を豊かに育てる思想も、田んぼを暮らしの中心にしたからだ。それが海の豊かさまでつながり、日本らしいという、永続的に循環する暮らしを産み出したのだろう。美しい景色の中で、美しい水土で、自給できる喜びというものが、日本人である最高のありがたさだ。

このことが瑞穂の国の意味だ。この妥協に妥協を重ねる暮らし。つまり手入れを続ける暮らしこそ、日本人の特性である。日本人が幸いにも軍隊を持たないで60年以上も暮らせたのは、こういう日本人らしい曖昧な良さが作用したはずだ。この江戸時代の日本人こそ、世界の希望だと私は思っている。世界中が、アメリカナイズされるのも、中華思想が蔓延するのも、戦争につながる。自分が自分が、能力こそ正義だ。これでは世界は持たないだろう。現に戦争はひっきりなしに行われている。日本人が循環する田んぼをやって、平和に暮らすということが可能なら、世界の希望になれる。私はその意味で天皇の存在は大きいと考えている。後水尾上皇の作った、修学院離宮の思想である。天皇は修学院離宮で、日本の瑞穂の思想の象徴の暮らしをしてもらいたいと考えている。これは天皇をないがしろにするというのではなく、天皇の意味を尊重し大切に思うからである。

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