舟原・夏祭り
毎年地域の公民館主催の夏祭りがある。納涼祭という名前が正式なもののようだ。昨年までは、8月最初の土曜日だったが、この日が酒匂川の花火の開催と重なるということで、1週早くなり、7月27日となった。こういうことも公民館と自治会の集まりで決められることのようだ。公民館役員というものが、各組から1名出る。組長というものが各組6名いる。この6名が自治会役員ということになる。それと正副公民館長、正副自治会長の4名を加え16名がお祭りを主催する係ということになる。加えて、子供会の方々が、中心になって動いてくれている。全体では20名くらいで準備している。各組ごとにお祭りの屋台が割り振られている。焼きそば係は3組と言うような形で、これは毎年役割が回っていくようになっている。各組の公民館担当が、公民館役員と協力して、準備をされている。焼きそばは4時から始めて、8時ごろまで焼き続けていた。150食分とか言われていた。私は5組で今年はフランクフルト係だった。
焼き鳥係の方が、スタートまでとても苦労されていた。ガスがうまく稼働せず、結局、借りてきたコンロの穴が詰まっていた。やっと火がついて焼き始めたのだが、今度はこびりついてひっくり返せない。昨年の係の人に聞いて、水をかけてやると剥がれるということが分かる。中盤から、たれのつけ方、二度焼きの要領など、とても上手になって、素晴らしい焼き具合になった。生まれて初めて焼き鳥を焼いたと言われていたが、農家の方はすぐこういうことの名人になる。と言って、焼き鳥係は2度は回ってはこない。そのほか、綿あめ。ジュース。生ビール。のように屋台は6通りとなる。そして子供会のくじ引きコーナーが一番賑やかだった。輪投げをして、賞品が当たるようになっていた。光るネックレスを子供たちがしていたから、あれが景品の一つだったのか。盆踊りもひとしきり行われ、花火も打ち上げられ、楽しく終了した。終了してから、反省会があり、自由に意見が交わされた。
舟原に越してきて最初のころと、夏祭りもだいぶ変わって来た。あの頃、中心だった方々があまり参加しなくなった。若い世代に移ってきているということなのだろう。一時義務的な参加という空気の時期があったと思う。そして、また楽しいから参加しようという、新しい何かも出てきているように感じられる。子供が少し増えたてきたということがある。子供が増える地域というのは、自慢できることではないだろうか。日曜日の村の様子も子供の歓声が上がり、少し雰囲気が変わって来たことは感じる。里帰りしてきた子供たちも加わるので、かなりの数いたようだ。残念ながら、どこの子供なのかは分からなかった。たぶん、舟原が特殊ということではなく、全国で似たような変化があり、対応の違いもあるのだろう。幸い舟原では戸数は毎年1件は増えて、私が来てからでも10数軒増加した。
舟原が暮らし良い。小田原ほどいいところはない。こんな話が出ていた。東京まで1時間かからない。気候はいい。ほどほど緑の自然も残っている。海の漁業。平野部の農業と何でもある。そして出てくる話は、残念なことにこの小田原の良さが生かされてはいない。こんな風に皆さんが言われて話が、盛り上がっていた。最後には、そうは言ってもこんな良いところはないというあたりに話は落ち着いた。私はここが好きになり、越してきた。同じように考える人は結構いるから、人口急増ということだろう。市街化調整区域で、人口が増加するというのは、家が建てられる法的な条件があるということだろう。また、新しい人が入ることに対して、抵抗感が少ないということでもあるのだろう。何度も引っ越し色々の地域で暮らしてきたが、舟原は暮らしやすい。舟原の良さがいつまでも続くように、少しでも協力出来たらばと考えている。