公的農地集約組織の構想

   

林芳正農相は4月23日、首相官邸で開かれた政府の産業競争力会議で、農業の競争力を強化するため、大規模生産者と小規模農家の間で農地の貸し借りを仲介する新組織「農地中間管理機構」(仮称)を各都道府県に整備し、農地の集約や耕作放棄地の解消を加速する方針を表明した。新機構には国費を積極的に投入し、農業用水路などの基盤整備も行って、意欲のある農家が農地を借りやすくする。環太平洋連携協定(TPP)交渉参加をにらみ、小規模農家が分散する日本の弱い農業構造の改革に本腰を入れる構えだ。農地集約と耕作放棄地の解消に関する数値目標を定める意向を表明した。東京新聞記事

農水が打ち出した政策が、考えていた対策に似ていたので驚いた。しかし肝心の耕作放棄地の大規模農家への集約という視点は、見当違いである。耕作放棄地は大規模機械化農業ができない農地から始まっている。機械化しやすい、集約しやすい競争力の高い農地であれば、政府が乗り出さなくても放棄地にはならない。当たり前のことだ。つまり、大規模農業の優遇がされると、競争力を失う不利条件農地が登場し、放棄せざる得なくなってくるのだ。この政策だけでは、政府の目指す耕作放棄地を無くすという数値目標が、農地面積を減らす政策ということになってしまう。耕作放棄地呼ばれている期間も数年のことだ。原野に戻れば農地ではなくなる。政府の政策の本当の狙いは、条件不利農地の放棄を促進し、自然に戻ることを目指しているということが、本音ではないのか。国際競争力のある農産物という主張は、実は大規模集約化に良い農地だけを農地として残し、後は農地ではなくすという考えである。競争力のない農地や農産物は生産を止めようということだ。

農業にも競争原理を徹底しなければならないという考えだろう。この政策は不利条件の農地で頑張ってきた農家を切り捨てるということになる。そう正面切って主張してしまえば、ひどい話なので、冒頭の言い方による、政策が出されたのだろう。問題は今後起きてくる、集落の消滅と、日本の山間部の管理の問題である。不利な場所での農業は止めろ。これをわかりやすく言えば、棚田は止めろということだろう。その方が、政府の考える国際競争力は生まれる。しかし、不利条件の農地が維持されてきたことで、作られてきた日本の里地里山は消滅して行くだろう。自然環境の維持はどうなるのだろう。それを支えてきた、不利地域の日本人を切り捨ててしまうことになる。地方はどうなるというのだろうか。日本の棚田における耕作は国際競争力はない。大規模化は出来ないし、機械化も限界がある。それを止めるのも一つの考えだろうが、それで日本という国全体の合理性があると言えるのだろうか。

今回の政策を大きな方向でみれば、中山間地と呼ばれる地域には人がいなくなる結果を引き起こすだろう。国際競争力のない日本の林業地帯の山は、さらに荒れてゆくだろう。川も、海も豊かさを失い、貧弱ななものになるだろう。本来政府が目指すべきは、耕作放棄地を政府が介在して公的機関が、自給的農民に貸し付ける方向を打ち出さなくてはならない。この方針は大規模機械化と逆方向であるがゆえに、存在意義がある。農地を管理する意味を、中山間地を維持する価値を評価しなくてはならない。国は多様であることが重要である。様々な価値観が共存することが、日本という国の豊かさになる。都市から離れた山奥でも、最先端の研究や、技術開発が可能である。そういう情報システム作り出すことはできる。自然環境というものの価値は深い。人間が自然と切り離されてしまえば、豊かに生きるということが難しくなる。そうした、自然と一体化した自給農の生き方を可能にすることが、国の役割のはずだ。

耕作放棄地は、条件不利地域にこそ存在する。だから、大規模機械化農業に放棄地を集約するというのは、現実を無視した建前論である。新規産業の提案を伴わないアベノミクスとよく似ている。、打ち上げ花火である。実質経済を活性化するとは、新しい産業を創出することである。これが出来ない。農業も同じで、国際競争力のある農業の、言葉だけでは何も変わらない。当たり前に日本の条件下でやる以外にないのが、地道な農業である。一番にはなれないのだが、その範囲で十二分にやるしかない。競争に勝つということが大事なのではなく、日本人がこころ豊かに生きるということが大切なのだ。そのためには、食糧の自給が農業で一番重要なことだ。どうやって条件不利地域の農業を維持するのか。あるいは切り捨てるのか。この部分の議論が必要である。

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