福島の人口減少
福島では昨年も人口減少が継続し、1万人以上が減ったということである。同じ被災地でも宮城県が人口増加に転じていることからも、これが原発の影響だ。人口減少に原発事故の生活に及ぼした深刻な影響がでている。一度原発事故が起こると、取り返しのつかない社会的影響を生む事が分かる。それでも原発を再開したいという、政府や電力会社の考え方は、経済がいかに判断の主要因であるかが分かる。原発再開の判断の背景は、この程度のことであるなら、経済を優先して原発を再開した方がいい。と考える所なのだろう。国家の運営なのだからそう言う、冷やかに厳しい判断と言うものもありうる。むしろ、そうした判断をごまかし無く検討すべきだと思う。原発事故が起きた結果の経済的損失と、原発を廃止した場合の経済的損失を、客観的に計算してもいい。人口が減少して行く場合の経済的損失は、歴史にも及ぶほどの大きいものではないのだろうか。
これは、同時に原発のコスト計算の矛盾の一つだ。廃棄物の廃棄費用を先送りしている。他の産業で廃棄物の処理をコストに入れないものはない。何故、原発だけそうなっているかと言えば、方法が決まらないから計算が立たないと言うに過ぎない。方法が定まらない一番の原因は、廃棄物処理を引き受ける地域がないということに尽きる。いくら補助金を付けるからと言っても引き受け手がいない。安全に処理できるかどうか以前の問題である。この点を見切り発車しているのが、原子力政策の欠陥部分である。国策でなければありえない事業の進め方だ。福島のような事故を眼の当たりにすれば、いよいよ引き受け手がいなくなる。故郷を捨てるのか、故郷を人の住めない場所にするのか。こう感じるのが普通の人の感覚である。廃棄物の一時保管すら見込めない産業を、何故継続するのか。少なくともめどが立つまで、停止せざる得ないのではないか。
福島の飯館村に、事故後移住した人の事がテレビで流れていた。確か神戸に住まわれていた人が、自宅を処分して、そのお金を持って飯館に移住したというのだ。そして、飯館のペット達に餌をやっているのだそうだ。神戸の震災を経験し、震災で置き去りにされた、ペット達を見殺しに出来なかったのだそうだ。自分達の命は福島のペットに捧げようと考えたらしい。UKCのタッズ夫妻も自分達の生活をなげうっての命がけであるが、この飯館に移住したご夫妻の命がけにも感銘を受ける。飯館にはペットを置いて移住し、餌をやりにだけ戻る人たちが沢山いるらしい。その人たちの家を回り続けているらしい。餌や水がないと、与えて行く。その数は何百軒にものぼると言うことらしい。富岡町に留まり生き物たちの救護を続けている松村直登さんと言う人もいる。この方は牛やダチョウも救助している。その為に、政府の援助を一切もらえない状態である。
日本と言う国は善意の国であったはずだ。自民党政権も、安倍氏も悪意の人ではないと思う。しかし、瑞穂の国と言いながら、農業を滅ぼしてしまう道を悪意なく選択してしまう。分かっちゃいるけど、背に腹は代えられない。いざという選択をするときに、経済を優先する。そしてそのしわ寄せが、弱い者の所に行く。福島の住民の所に行く。企業は政府は責任を取ると言っても、せいぜい賠償金程度である。その程度なら大したことはないと、又原発再稼働の選択である。しかし、福島の住民は福島を離れざる得ない道を歩んでいる。何と言う理不尽な、人権を無視した話であろうか。政府は、深刻な人間軽視、切り捨てを自覚できないでいる。賠償金で済めば安いものくらいの痛みである。それをまっとうなことといえるだろうか。