竹林の管理
竹林の中は実に清々しいものだ。不思議な静寂がある。かぐや姫伝説が生まれるのも良く分かる。竹という植物の強い生命力が独占した世界が形成されている。他の植物が入り込むことのできない。遷移の終着点の単一な姿をしている。1カ月で20メートルも伸びる竹という植物の生命力は、驚異的なものである。竹林の中にはすばらしい気が満ちている。それは竹林の中で優先し、空間を占める微生物の安定によるのではないだろうか。10メートルも奥に入れば、外部からの音も光も、すべてベールに包まれ、神々しい色彩に変わる。そうした美しい竹林は、人の手入れによってつくられるものである。一度、人の手から離れると、一歩も中に立ち入れない、手に負えない竹藪に変わる。笹村農鶏園のある場所は真竹の元竹藪だった所だ。竹藪を外周から切り開き、整地をして、鶏小屋を作った。果樹を植えた。それでも鶏小屋の周囲は1反ほどの竹林が残っている。
鶏の暮らす環境を整えるために残してある。竹と畑や鶏小屋がバランス良く維持されてゆくためには、日ごろの良い手入れが欠かせない。良い手入れとは、必要な竹を切りだすことである。子供の頃の暮らしでは、竹ぼうき、竹の背負いかご、田んぼのハザ掛けの竿、毎年作るものだった。鶏小屋など、孟宗竹で作られていた。奥のトイレはすべて竹で作られていた。多分これは風流の意味もあったのだろう。衛生という事もあったかもしれない。床から壁天井と竹で出来ている。風の通り抜けるトイレだ。竹竿も様々な用途に使われていた。毎年冬になると甲府から、竹屋さんが切りだしに来ていた。どこの家でも、竹竿で洗濯物は干していた。竹の皮を貯めておくと、肉屋さんの包み紙として買って行ってくれた。競って拾い集めたものだ。農家には竹林は必要で、大切なものだった。中国では竹を材料にした紙が長い間使われていた位だ。暮らしが変わり、便利で格安なプラスティックに変わった。そして手入れは無くなり。竹藪は厄介者となり、集落の空気を犯している。
竹林が広がっている。竹は肥料分の多い土地に侵食する。放棄された畑など一気に竹が占拠してしまう事がある。これを取り払い畑に戻すには5年かかる。5年の間は根が死に絶えると言う事がない。もちろん根まで掘り起こせば違うだろうが、重機でも竹に引っ掛かりキャタピラが壊れたりするほど、竹の根は強い。5年間根気よく出て来る竹を切り続けるしかない。それは養鶏小屋でも一緒で、鶏小屋の中ににょきにょき出て来る。出て来る竹の子を鶏が食べてくれないかと思うのだが、案外に生育してしまう。筍の子もとても美味しいものだが、10本もあればいい。最近はイノシシが掘り起す。イノシシは竹藪を掘り起こすのだからすごい。よく傘がさせるぐらいの疎らな竹林がいいと言われる。1㎡に1本は多いいぐらいだから、1反に1000本にしなければならない。今ある竹が1本は増やしそうだ。つまり、1000本毎年何とかしなければならないという事になる。
暮れから正月にかけて、300本ぐらいは切っただろう。切り倒すのは簡単なことだが、枝を払い長さをそろえることが大変である。5メートルの長竿と、1,9メートルのハザ掛けの足を貯めている。前回の半分は先日、欠ノ上の竹置き場に運んだ。残りは舟原田んぼ分のつもりである。13日には舟原のみんなで竹切りをすることになっている。竹林を作り出す暮らし。竹林を必要とする暮らし。人の暮らしが山里に戻り、昔の暮らしの良さを思い起こすことである。そう思って竹林を眺めると、いかに美しいかに気付く。この美しさは里地の美しさである。竹林を作り出すのは、絵を描く気持ちと似ている。畑も、田んぼも、そうなのだが良い調和が生まれると、美しいものである。美しい里を作り出す事が、昔の日本人の誇りであった。美しい集落に暮らす喜びと充実。
自給作業:竹藪の手入れ5時間 累計:5時間