絵に託すもの
明治以降の日本は帝国主義的競争の中にもがいてきた。そして、競争にそこそこ勝利し、抑圧者の側に立った。競争に勝つためには、少々のリスクは仕方が無いという考え方が、広がった。環境汚染、公害病、格差社会、自殺の増加。これらすべてが日本が勝ちぬくためには、止むえない犠牲だと目をつぶってきた。これは明治政府以来の方向である。その象徴的産物が、原子力エネルギーである。強者の側に立つためには、原子力を捨てるわけにはいかない。私も、未来の日本人に対し多大な迷惑を掛けることに加担してしまった。本当に申し訳ない。謝ってすまないことだが。大きな悔恨の中にいる。何故、こんなことをしてしまったのか。原子力に限らず、格安なエネルギーの登場が、暮らしを変えた。それは便利で、衛生的で、夢のような暮らしであった。しかしその豊かさは、誰かを踏みにじって獲得したものだった。
ここまで来てしまい、振り返る時、私たちが求めてきた豊かな暮らしとは、こんなものであったのかという、空しさに支配される。実感の欠如。私は絵を描いている。そして絵を見て感動を覚える。絵が一人の人間の根源の表現であると感ずるからだろう。一日一日を充実して生きようとすれば、生きている人の真実に触れたいとおもう。本当の絵から、人間の深さを知ることになる。絵はより深い世界へ触れるための道標である。私の絵は私という未熟な人間の姿である。せめてそうありたいと思っている。未熟で駄目であるにもかかわらず、絵を出来上がった絵として作り上げることは避けたい。もちろんそのことも難しい訳だが、素晴らしい絵という客観的な世界などどうでもいいと考えている。あくまで視点を向けるのは、自分が生きているという姿である。それ以外に無いのである。何を食べて、何をしているのか。どんな暮らしをしているのか。そう言う所を考えざる得ないことに成る。
暮らしを確認する。ここからしか何も始められない。どう生きているのか。せめて迷惑はかけないで暮らしたい。こう思っても、原発事故は未来の日本人に私が起こした迷惑である。今はせめても、何かで役に立ちたいと言う気持ち。絵がせめてそう言うものであってくれればという願い。絵が未熟であることが困るが、困ってもこれしかないというのが、絵を描くと言うことである。絵というものが素晴らしいのは、ダメな人間が駄目なように描いた絵が、分からないことを分からないと描いたことが、人に伝わるということである。立派な必要など少しも無い。どこまで在りのままであることが出来るか。畑を見れば農家の人は互いに分かる。それは耕作者と自然との関係であるからだ。自然を改変した姿が、畑である。畑では農産物という結果がある。収量とか、品質とかいう結果がある。しかしここでもそう言う結果の前に、美しい畑というものがある。
畑をやるということは、ご先祖の意図を汲んで、子孫に繋ぐということである。絵を描くと言う事も、一人でやっている訳ではない。多くの天才たちの残した意図をついで、未来の子孫に、何らかのものをつなごうとしている。悔い多く生きている。恥ずべき事ばかりである。二度とない日々を無駄な時間を過ごしている。そう言う情けない人間であるという事すら忘れがちである。先日、水彩人の仲間の青木伸一さんの個展を見に行った。素晴らしい水彩画であった。暗い夜の海に花弁が降り注いでいる。ああ、これはあの震災への鎮魂歌であると。「花が咲く」の歌声が突然、流れた。「いつか生まれる君の為に、花は花は花は咲く、私は何を残しただろう。」こんな絵が描ける素晴らしい仲間がいると言う事が、有難いことである。水彩人を始めて良かったと思った。