roadsaid #2012 諸沢利彦
田んぼの仲間の小嶋さんが作られた映画「ネコマチッタ」の上映会の時に、今度自分が出演した映画を秦野で上映されると言われていた。丹沢未来プロジェクトが諸沢利彦監督の「roadsaid #2012 」というドキュメント作品を上映した。東北の大震災後を丁寧に歩きながら、東京から出掛けて行くミュージシャンと、地元の人たちとの接触を多く写されている。撮影をする監督が7歳のお子さんと共に出掛けて行くという姿が、印象に残った。何か強い主張があると言う訳ではなく、諸沢氏の視点で、ともかく写してこようという事のようだ。穏やかな語り口であるが、その切迫感がある。何が監督を駆り立てているのか。宮城の農業を続けるおじいさんの姿。福島の南相馬で活動する、高校生たちの姿。どう関連しているのか。意図はどういうものなのか、高校生たちがとても自由に何でも語る。強い印象である。こんな風に語る高校生をあまり見たことが無い。
福島から発信されるものが、次の時代とても重要になると言う気がしてきた。これだけの大きな試練を与えられた、若者たちが成長して行く姿。そうしたことにどれだけ寄り添えるのだろうかと思う。もし日本が立ち直れるとするなら、福島からなのかもしれないとまで感じた。人間の生きるバネの強さ。不安というものが変えて行くものと、それでも変わらないもの、そして成長につながるもの。不安というものとの向き合い方。映画を見て家に戻ると、小田原のお米の放射能測定結果が届いていた。ほぼ半減という結果である。ほっとした。山と水の事を考えると、田んぼでは減少するとばかりは言えないという不安があった。ともかく対策をしたという事もあるが、半減した。この事は100のものも5年すれば、3に成るということだ。微量な放射能が10年以上の人体への蓄積で影響するとすれば、小田原で暮らす人間への影響は、10年間の蓄積で初年度の倍にはならないという事に成る。これは多分福島においても同様の減少の変化ではないだろうか。
黒田征太郎氏が映画に少し出ていた。福島のお祭りの会場で、絵を描いて配っていた。その絵は、以前の絵と特に変わることは無いようだった。絵はそう言うものなのだろうか。ミュージシャンの歌う叫びのような歌は、被災者に寄り添う気がした。絵というものの役割というものを感じた。私は絵が描けなくなってしまっていた。無理やり描いた絵も以前とは違うものになった。誤解を恐れず書けば、私個人としては、福島の試練を受けて良かったと思っている。福島の事故が無ければ、自分の極楽トンボに気付くことは無かった。もちろん極楽トンボで良いのだし、どこまで変わって行ったとしても、極楽トンボである。それでも、自分があまりに能天気で、半分しか見えていなかったという事を思い知らされた。良かったなどと言えば、申し訳ないし、許されない言い方だと思うが、日本人がこの大惨事をそう受け止め、未来に繋いでゆくことはできないか。
自分の個人的な人生としては、今回のことで気付いたことが多いとやっと思えてきたということ。人間の無力感である。どうにもならないことをどう受け止めるかである。放射能を忘れたい。しかし忘れるわけにはいかない。今までやってきた、自給農業が根底から覆された。土壌を汚すという事がどれほど不愉快なことか、罪の深いことか。良い土壌を作り、未来に繋いでゆく。こうした自然の中に織り込まれるような生き様全体が覆された。原発は自然というもの決定的に対立をしている方法である。西欧的な機械文明の結末なのではないか。人類が越えてはならない、領域に立ち至っている。廃棄物の処理法が無い様なものは、そう言うことなのではないか。福島の若者たちにそう言う事を教えられるところがある。
昨日の自給作業:小麦の播種4時間 累計時間:15時間