コマーシャル
コマーシャルが表現手段として一番すぐれている。テレビを見ていても映像的にも、実に優れたものがある。言葉一つにしても、実に洗練されている。あっと言わせるもの、虚を突くようなもの。これを作っている人の、創造する力は日本で最も優れた集団なのではないかと思う事がある。あきらかに社会の方向性を作り、動かしている。コマーシャルは日本を変えてきた。その狙い目は、実に巧みであり、また、反骨的であり、まさに現代芸術と言える。電通とか、博報堂とか、第一広告社とか、そう言う企業がコマーシャルを作り出しているのだろう。有元利夫と言う若く死んだ、高度成長期を代表するような画家がいたが、この人は電通の社員だった。この人は芸大のデザイン科で、卒業制作展でピエロ·デラ·フランチェスカに関する作品を出していた。4浪して、油彩画ではなくデザイン科に入ったという事が、この人のその後の生き方を表していた。
杉浦康平氏が我々世代には、すぐれたデザイナーとしてすぐ思い浮かぶ。ポスターと言うものを表現手段として展開した。高橋和巳『わが解体』の表紙で知った。4分の1ポイントが必要な文字校正だと言われた。商業デザイナーと言うようなくくりの時代なのかもしれない。当時金沢大学美術部が、ポスター展を何度も開催した。全国の企業にポスターの提供を求め、展示する美術展である。当然ポスターの依頼も受けてシルクスクリーンで制作をしていた。絵画よりも時代を反映しているダイナミックな感触に刺激された。あちこちに仕事をもらいに歩いた。徹夜でポスターを刷る事を繰り返していた。その時に一緒にやった仲間の一人はそういう工房の仕事に進んだ。当時、突如イエローページ金沢を作る人が現れて、今思えばタウン誌の先駆けである。この人との接触は面白かった。たぶんどこかの大学闘争から流れてきた人だった。そう言う人は金沢には多かった。
ある時、ドイツのケストナーの文章だったと思うのだが、「良くも無いものを、不要なものを、買わせるために、デザインが貢献するのは罪悪だ。」こういう言葉に出会う。「人間が心豊かに暮らすという事にデザインは貢献しなければならない。」これで目が覚めたようにポスターの仕事から離れる。絵と言うものの意味を人間の暮らしを良くするものと言う風に考えるようになる。部屋にポスターが貼られているのが、当時の学生の部屋であったが、自分の絵が置かれることで、そこで暮らす人の何かに成るようなものを描きたいと考えるようになる。その頃迷いながらも定めた方角に、その後は進んで来たのだと思う。問題は、何かに成るの、何か、である。自分が人に伝えるようなものがあるのか。人の暮らしを豊かにするようなものを持っているのだろうか。つまり、当時もてはやされていた、横尾忠則のポスターよりも、心豊かなものを描けるのかと。
結局、今も同じ所に自分はいる訳だが、コマーシャルはいよいよ時代の空気を作り出している。金権主義時代の申し子の表現手段。実に優れている。世の中の多くの才能は、絵画のようなまだろっこしい所には、目を向けない。時代に取り残され、内向化する絵画。経済と結びついたものが、利潤の奴隷のような、先兵のような、コマーシャルの仕事に何故多くの才能が埋もれて行くのか。そして、危うい時代をますます危うくしている現実がある。原子力発電は安全です。エコ発電です。こういうコマーシャルを作ることは、真実とは関係が無い。そう言うイメージを作り出せればいい。温暖化の問題と原発を絡ませたコマーシャル、北海道の冬が暖かくなったというやつだ。倉本聰氏が出ていたことを忘れない。現在原発批判や、森の環境の事を語っているが、それだけに罪が重いと思う。北の国からのエセっぽいさはそういう生き方から来ていると思えてしまう。