群馬大早川教授
早川由紀夫教授(火山学)を七日付で訓告処分とした。早川教授は八日、前橋市内の同大で会見し「訓告は学問や言論の自由の根幹に関わる。大学の自殺だ」と訴えた。早川教授は、福島第一原発事故後に放射性物質で汚染された土壌の危険性を伝える趣旨で、周辺の農家について「セシウムまみれの干し草を牛に与えて毒牛をつくる行為も、セシウムまみれの水田で稲を育てて毒米をつくる行為も、サリンをつくったオウム信者がしたことと同じだ」
早川教授のホームページを見ると、支持をする意見が無数に投稿されていた。その狂信的な雰囲気が怖い気がする。国立大学の教授の発言とその無批判な支持者の関係。異常事態に思える。
オウムがサリンを作った事と、農業者とは違う。農業者は純粋に被害者である。被害者に対してあまりに心ない発言だということが分からないのだろうか。
農業者の一人として、つらい発言である。各地域に根差し、何としても地域を守ろうと頑張る人間を踏みにじる発言である。あしがら地域でもこうした心ない発言を度々聞かされてきた。もうこの土地で農業をすべきではないということも言われた。ここで生きて行こうと決意した思いを踏みにじられてきた。早川教授は放射能の危険性を多くの人に、伝えなければならないので、過激な発言を意識してしたということである。先日もある講演で、すでに福島では放射能で死んだ子供が居る。多くの子供が鼻血を出して倒れている。何の根拠もなく、こうしたデマを振りまく人がいる。あしがらにはもう人は住むことが出来ないと発言した人もいる。そうした発言をする人の多くが、実は正義の思いに取りつかれているので困る。「小田原程度の放射能なら、私は心配しない。」などと発言すると、福島の子供たちを見殺しにするのか。と言うことになる。0,1ベクレルだって危険なものは危険だという発言も聞いた。何故にこういうことになるのかである。
小田原の舟原の土壌も確かに、放射能で汚染された。ここで採れる作物も放射能汚染されている。それが食べたくないとすれば、ここに住むことはできない。それは各々の判断である。ここで暮らす以上ここで採れた作物を食べる。それが地場・旬・自給の思想である。福島の一定地域では、もう暮らせないと私は考えている。その地域の人には本当に申し訳ないことだ。政府がどうごまかそうが、戻ることのできない地域はある。子供を育てることは出来ない地域が出来てしまった。しかし、小田原なら大丈夫である。小田原程度の汚染は過去にもあったものだ。過去明確な被害は起きていない。疫学的にいえば影響はあっただろうが、日本全体としては、平均寿命への影響があるほどのレベルではない。むしろ、大気汚染や水の汚染による影響の方がはるかに強かった。こうした危機的状況では、冷静に事実だけを見る必要がある。影響のある立場の人が、デマ的な言葉を発することは不安の増幅をしていることになるだけである。
テポドンの時も、日本に落ちるだろう。韓国のロケット実験では何も言わない政府が、必要以上に不安をあおり、迎撃ミサイルまで準備した。人工衛星が落ちるたびに人に当たるかもしれないと、その確率をまことしやかに報道し、過去怪我をした人の事例などをあげている。不安が増幅される。福島の事故が収束しない、不安に満ちた社会状況である。政府は有効な手立てがなく、頼りにならないもの。今になって馬鹿げた事実が発覚する。嘘がばれると、パニックを抑えるために仕方がなかったというひどいいい訳である。こんな状況だから、早川教授のような人が現われる。自分の発言がどういう意味に成るかだけは考えて欲しい。セシュームまみれの土壌とはどういう状態だろうか。分かってきたことは、土壌だけでないこと。全体に降り注いだこと。海には大量に流れ出たこと。そしてそれは終わっていないこと。そのなかで、人間がどう生きるかを考えるべきだ。福島の作物も、学校給食基準の40ベクレル以下が大半である。
植物の移行計数から言って、かなりの範囲で耕作して大丈夫と判断した。私なりに調べ、科学的根拠に基づき、安全の判断をした上で、決断し耕作している。早川氏には福島で希望を無くし、自殺した大根農家の思いが分からないのだろうか。「おいしい、より安全な食べもを食べてもらえれば」そうした思いで有機農業を目指してきた。心ある農家をさらに追い込んでいる。これでまた、有機農業を離れる人が居る。すでに、我々の土づくりの努力は水泡に帰した事は認める。今までの生き方は、原発事故と言う結論が待っていた。日本人である以上等しく責任を負わざる得ない。それでも、再度立ち上がろうとしている。農業をこの土地で続けることはつらい。気持ちが晴れる日は無い。あしがらの山野全体に、放射能が降り注いでしまった。死ぬまでこの荷物を自分の責任として、担って行かなければならないと考えている。止めた方がどれだけ楽かと思う。