小田原有機の里づくり協議会総会
今年は有機の里づくり協議会の総会が昨日になって開かられた。総会でいいと思うのだが、「事業報告会」が正式名である。開催すべき3月4月5月がそれどころでなかったということである。今年は今になっても台風15号の影響があって、小田原の農業は次々に大変である。この後果樹が忙しくなれば、開けなくなるので、ギリギリの判断であった。農政課の職員が腕が居たくなるほど、倒れた木の整理に飛び回っている。その合間を縫ってである。放射能については、情報の扱いの困難さと言うことがあって、行政との連携が今一つ上手くゆかない。災害地の支援を事務局長が継続していることもあると思われるのだが、会全体での動きは、出来ないで来た。事務局長の交代と言うことにもなったはずなのだが、そう言えばその話は昨日は出なかった。小田原の農業の未来に、有機農業が役に立つ時は必ず来る。そうした思いで集まった4団体である。必ず、動き出す時が来ると思う。
現状での停滞は政府の仕分けで有機農業モデルタウンが無くなってしまったことが、影響している。この予算の枠組みで、この会は出発した。別段、補助金が貰いたいということでなく、有機農業を推進するという、政府の方針が重要なのだと思う。この法律は、超党派の議員連盟が推進して出来たはずである。民主党であれ、自民党であれ、その他の党であれ、有機農業の推進では一致していたはずだ。それをモデルタウンを作り進めようと言うことだったはずだ。ところが、どういう理由か分からないが、これが断ち切られてしまった。あしがら農の会としては、有機農業技術の集約と言うことを目指した。大豆づくりや稲作で、それなりの技術の実績を作っている。他団体に置いてはキウイやみかんでも高い有機農業技術が確立されている。これらを整理して、農業の新しい方向として、提案して行きたいと考えた。農業に置いては、地域に密着したやり方こそ重要であるし、説得力がある。
農の会では補助金は無くなったが、今年もデーターを取りながら、大豆と田んぼを続けている。また、有機のお茶づくり、小麦栽培も、継続されている。補助金をもらう事業としては、堆肥の実証圃を行っている。我々だけが動くのであれば、補助金などいらないのだが、データーや分析にはどうしても費用が居る。費用があれば、より深い説得力のある検証が出来る。何故堆肥を選んでいるかと言えば、有機農業のカギは循環だと考えている。地域の中でうまく回ることが、地域の資源を生かすということになる。地域の循環の中に農業が入って行かなければ、農業の存在意義が薄れて行く。循環の輪に入らず、生産物だけは地産地消では受け入れられない。「生ごみを農地に入れる。」このことだけが先行すると、「農地はごみ箱じゃない。」こういうことになる。1000年先の農地の保全を考えながら、農業が地域の循環の輪に入る。その為には、正確で客観的なデーターの蓄積である。
この地域の農家が有機農業を始められる、栽培案内を作りたいと思っている。有機のお米を作れば、学校給食で高く買ってくれる。こういう循環が出来れば、地域の環境保全や、食育が繋がってくる。昨日は参加されていた、Y市会議員が村井弦斎と言う、小田原や平塚に暮らした人の話をされた。食育という言葉を作った人だということである。名前はイベントの方で聞いたことがあった。どんな人なのかまでは気にしていなかった。「庭内広さ二万余坪、野菜園あり、温室あり、鶏舎には数百羽の鶏三々五々群れを成し、兎は柵に飼われ、羊と牛は牧草茂れる所を優遊す、芝生の上かぜも無くして冬の日の暖かさ、その日光に浴せん」鶏に白米を与えたり、玄米食に切り替えて研究した。自然物しか食べず、昆虫食もしていたらしい。大いに興味がわいてきた。話はそれてしまったが面白い材料である。行政では12日に成田の選果場で「営農支援センター」を始めるそうだ。有機の里でも連携を取ることになった。