欠ノ上でのお神楽

   

子ノ神田んぼの井関さんが、お神楽を子ノ神社に奉納したいということから始まった。まごのりさんが地元の方と調整をして下さり、今回はその予行演習として、公民館で舞ってもらうことが出来た。お神楽と言うものを生で見たことがなかった。テレビのニュースなどで流れているものを偶然目にしたぐらいのことである。正直言ってそう言うことに興味もなかった。今回見せていただいて、原発事故以来の、大変な気持ちが展開できそうな気がした。大げさだが、新しい時代が来るような気がした。それは嬉しかった。再生と言うような事なのだと思う。農地が汚されてしまって本当にがっかりした。そのやり場のない不快感が、受け入れられそうな気がした。何故お神楽を見てそう思ったかは分からないが、たぶん欠ノ上の方々がと一緒に成ってみることが出来たからだろう。舟原に来て10年が経つ訳だが、ご先祖から確かに400年この地に暮らす人たちとは、そもそも異なるのは当たり前だ。

日本に生きる人間は、ご先祖とつながって生きていた。それは仏教とか、神社とか言う以前の、日本人の生きる根本の精神を支えてきた、共感する思いのようなものであったのだろう。ご先祖さまに申し訳がない。ご先祖様が見ているぞ。ご先祖様と同じ暮らしをしている。同じ農作業をしている。同じ田んぼを耕している。この土でご先祖とつながって許されている安心感のようなものが、土地の者の暮らしである。それを日本人は失った。失うことは止むえないことではあったのだろうが、この欠落感を埋められないできた。埋められないから、その穴埋めに経済的豊かさを競争した。心の空白を埋めるには、物の豊かさしかなかった。おかしなことに、お神楽を見ながら私だってここの場所で許されると感じられた。許されるは意味がおかしいかもしれないが、この後生きている間位なら、居ても良いぐらいの感じである。

お神楽を見て何故そう思ったかはわからないが。お神楽の姿が百姓の姿を彷彿させたのだ。日本人の原型のようなものを感じた。井関さんが何故、農業をやってみたくなったのかが少しわかった。田んぼをやらない限り、分からない動きと言うものがある。昨日も初めて田植えをした人が沢山いた。45人の人が参加していた。どうやって足を田んぼから抜くのかと言う質問があった。確かに田んぼで歩けなくて普通だ。ところが何年かすると、歩けるようになる。その動作は、腰のかがめ方は、知らぬうちに似たようなものに成る。抜いた足で、足跡を消しながら前に進む。おかしな動きである。お神楽と言うものも、随分とおかしな動きである。田植えを抜け出て、いやいやお神楽を見に行ったのだ。田植えを切りを付けたい。気も急いている。それを中断してお神楽を見に行った。お神楽は田楽と言うものともつながっているのだろう。田植えの日に行われた意味がわかった。

お神楽を通して、ご先祖と繋がったような気がした。自分の祖先が百姓をしていた事に、迂闊にも思いが至らなかった。先祖も日本の土を耕していた。流されたこともあっただろうし、冷害にもあっただろう。豊作で喜んだり、来年の工夫に思いを巡らしただろう。別段それ以上でもなく、それ以下でもない。暮らしを深めて行くということが、新しい出発であるということを実感した。もう残された時間がそうある訳でもない。あと10年田んぼが出来れば御の字である。大したことが出来る訳でもない。自分の理想とする人間にどこまで近づけたか。そう言うことが急に湧いてきた。去年と同じ一年を送り、同じであることを喜べる人間。最近のつらかった一日一日が、やはり自らの蒔いた種だったこと。そしてまだ懲りずに、原発の再開を願う人が居ること。こうした悲しい受け入れがたい現実。日本人の受容する力に付け込んでくる、拝金主義。今日の豊かさを有難く思える心。お神楽はもろもろ良かった。

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