日本の行方
日本は全く大丈夫である。つくづく鈍感力である。親しい2家族が海外に一時避難するという。全く、そんな必要を感じない。原発の爆発が怖いとか、放射能が不安だとか言うが、大したことではない。いままでもあったりすくだ。今でも小田原であれば浜岡の原発のリスクの方が大きいと想定する。日本にとっては大きな転換点を迎えたと言える。この機会を生かせるかどうかである。日本の行方は暮らしを変えられるかどうかにかかっている。さすがに今まで、0,3%の人しか気づいていなかったことを、このたびにことで、一ケタ上がり、3%ぐらいの人たちは気付いたと思う。もう一息である。2,3カ月は何も決断できない政府に付き合って、「冷却だ冷却だ。通電通電だ。」と一喜一憂させられるのであろう。放射能の汚染もそこそこするだろう。しかし大したことはない。気おつければすむ程度のことだ。日本人の平均寿命は幾らか下がるだろう。それでもまだ長寿国である。
安全は比較である。絶対の安全などない。慣れているから車に乗れる。車に乗っている時のリスクの方が、自宅退避よりリスクは高い。安全の原理主義者に成ってはならない。絶対の安全などありえない。生まれて死ぬまでの間の過ごし方だ。必ず死ぬのである。それを受け入れられない現代人。死というものに直面できない。死は常に身近にある。その上で、命のある時を十二分に、生きる。鈍感力である。17日の事故を聞いた時、我が家では種を買いに行った。種さえ確保しておけば、ひとまず安心という訳である。小田原のレベルの放射能汚染は何の心配もいらない。人体への影響は直ちにも、永遠にも無い。そもそも地球は放射能に汚染されているのだ。地域によっては、福島県レベルで暮らしている地域すらある。海外に逃げたところで、リスクが減るとは限らない。政府は信頼できないが、科学的データーは信用していい。各種組織が出しているデーターを比較しても、徐々に落ち着いてきている。
この日本をあきらめる訳にはいかないではないか。小田原での土壌汚染も、全く心配の範囲ではない。どうにもならないことは受け入れること。受け入れて、浜岡原発の廃止を要求する。次には日本のエネルギーそのものをより安全なものに移行して行く。さすがに、政府も想定外を、想定に入れるだろう。世界もそうした要求をするだろう。そうなれば原子力を安いなど言えなくなる。拝金主義日本だから、それ以外の要因で、原発を止める気にはなれないだろう。今回起きたことの経済的事実を直視させることである。福島の避難所でのアンケート調査ですら、半分の人が原発は必要としている。それだけ経済的恩恵を受けてきたという。土地を追われるようなことに成ってすら、東電の恩恵や雇用を有難いと考えている。
日本は江戸時代に戻ることである。豊かな文化の国に成ることである。人間の幸福とは何か。生きるということをどれだけ深く味わうことが出来るかだと思っている。鈍感である方が、腰を据えて深く潜り込むことが出来るのかもしれない。今気がついて、原発を廃止すれば、日本の国土は全くこの程度でどうに成るものでもない。大切なことは、この事故で気が付く日本人がどれだけ増えるかである。もし10%になれば、大丈夫である。必ず変わる。日本は立ち直る。敗戦以来の貧困から、経済以外見えなくなってしまった日本人。その行き着く先はやはりこういうことだった。この経済だけの道の先に、心豊かな世界が待っているはずはなかった。