江戸学
チャボやら、金魚が子供のころから好きだった。凝るという言葉がぴったりの趣味である。当時本屋さんで、こうした本を見つけると、必ず趣味と実益という副題がついていた。江戸時代は趣味に後ろめたさはなかったが、戦後の経済に傾斜した社会では、実益という副題が無ければ売れなかったのだろう。チャボで養鶏をするなどという本まであった。加藤孫後という著者名だったと思うが。さすがに金魚で養魚というのは無いだろう。子供が江戸趣味というのでは、相当に顰蹙をかいそうだが、我が家では何故か奨励された。父は大正時代の子供時代はブルドックのブリーダーを目指したようだ。困った血筋というものだ。チャボを初めて分かったことは、江戸時代の方が上だということである。昭和にはいない良いチャボがいた。赤笹のチャボが好きだったが、そんなチャボは見つからなかった。何故、貧困な封建社会に、すごいチャボがいたのか。
この不思議から始まった。金魚のランチュウは津軽ランチュウというものがあったらしい。江戸とは別系統でそういうものがあった。津軽の華族さんが皇室にお嫁入りする時、多分新聞でそういう話を読んだ。そんなことにしか興味が無かったということだ。江戸幕府に秘蔵のランチュウを献上したのと、津軽の御姫様とを結び付けた話があったのだろう。何故、百姓一揆の餓えに苦しむ東北でランチュウか。ランチュウを飼うのはなかなか難しい。ましていいランチュウはめったに出ない。当時、小国鶏を飼っていたのだが、これも尾に刺しがはいらないで、脚が黄足というものは難しかった。結局は凝りに凝った秘伝がある訳だ。生涯ランチュウに没頭して、ボウフラを探しあるいて終わった人が、ランチュウの作出者となっていた。何故そういう一生が送れたのかが分からなかった。学校で勉強などしないで、文鳥をもっと飼いたかった。ああ江戸時代に行きたいと思う子供だった。
結局回りまわって、30代後半に成って山北の山暮しに成った。出来ないはずの自給暮しを始めた。これが、意外に簡単だった。そこから江戸時代の循環型社会のことが、一気に分かってきた。田中優子氏と石川英輔氏は江戸時代の暮らしを例えば和服を着て暮らしてみる。こういうことをしている。私の場合は江戸時代のお百姓と同じようにしてみたら、江戸時代は楽だったという驚きだ。ここに何か嘘がある。自給というのは、100坪の土地と、1日1時間の労働で可能だ。何かが違う税金か。江戸時代の税の方が、実は今より安いという説も見受ける。どうも江戸のインフラ整備は銀輸出にあったらしい。家康の思想はなかなかのものだったらしい。花田清輝氏の「前近代的なものを否定的媒介にして、近代の超克する。」江戸時代を否定したのは明治政府の政策であるということに気付いた。家康のタヌキおやじである。
江戸の循環型思想は、発展というものを拒絶する。今ある自分と向き合う。自己たる存在は何か。生きて死ぬ哲学としての人間に向き合う。ランチュウの向こうにあった自分というもの気が付く。何故これほどチャボ三昧に暮らしたかったのかが、少しづつ身体が切り開いてくれた。ボウフラの代わりにミミズの養殖までやってみる。ミミズを鶏に与えると病気に成る。緑餌を取りに与えると病気に成る。薬で予防しなければ病気に成る。という、近代養鶏のおかしさに気づく。近代養鶏はチャボを作れない。尾長鶏を作れない。文化を失ってしまった近代社会。経済に追われる社会の見直しには、江戸時代の見直し以外ない。それは日本一国のことで無く、人類の生存に相応しいあり方。