2010年のメモ
62歳の今年も、それなりに終わろうとしている。日々の決意からすれば、この程度に過ぎなかったのかという反省もある。限界までやったではないかという言い訳もある。こうして2010年も終わる。毎年今年こそというものがある。やりたいことが次々に現れてくる。「何とか人の言葉を聞けるようになることが、今年の課題なのだろう。」これが元旦の思いである。一年どうであったのだろうか。そうは変わるもんでもないが、一年間という時間経過が、いくらかはあるようで、やはり決意はするものである。
今年出来たことを書きとめるて置く。
1、舟原田んぼが出来た。出来たというのは、納得のゆく形で出来たということになる。田んぼを始めて、20数年になる訳だが、やっと自分なりの田んぼになったという気がしている。反収が上がったということもあるが、予測しておおよそそれに従って経過したということである。
2、生ごみの堆肥化に明け暮れた一年であった。家庭で生ごみをたい肥にする方法を様々に試行して、紹介して、それなりの普及がすすんだ。また来年の新展開に期待できる基礎的状況が出来た。これは一年前から思えば隔世の感がある。小田原の市民力は想像以上である。
3、自給畑が軌道に乗ってきた。土壌が良くなってきて、それほどの手間をかけなくとも野菜が出来る。「笹村農鶏園」の形が徐々に出来てきた。こんな風にやれば、「1日1時間の自給」はできます。このことが、誰にでも見てもらえるような、具体的な形になっている。意外に早く整ってきた気がしている。
4、水彩人展の東京都美術館での開催がきまった。北海道水彩人展も無事開催が出来た。13年前本格的な水彩画の研究の為に作った、集まりがその精神が評価され、都美術館での開催になった。これは画期的なことで、水彩人一同のひたすらな研究と努力が認められた。見ている人は見ているものだとの感慨がある。
5、麦の会を本格的に始めることができた。長年の課題であった、麦作りをグループでやるということで、始動を始めた。良い活動になりそうで楽しみである。呼びかけてすぐ10人も集まる。中村さんの方では、30人も集まったそうだ。何か農業を取り巻く空気が変わり始めている。
6、欠ノ上田んぼが一応軌道に乗った。新しい田んぼグループの立ち上がりに、協力することが出来た。農の会を代表する田んぼになりそうである。田んぼのみならず、果樹から畑まで総合的に取り組み、新しい方式を模索している。来年は、久野の3つのグループの連携を模索することになる。
7、自分の絵を展示するギャラリーを作った。これは自分の絵と対峙するという意味で実に大きなことであった。自分としては、中盤戦としての納得のゆく絵が描けた年であった。農に没頭することが私の絵を描くことである。この冒険が徐々に船出している。
8、「うつくしい久野里地里山協議会」として、山につつじを戻す活動が始められた。小田原植木さんの支援が大きいところである。資金的にも軌道に乗せられそうである。山が良くなることは、すべてにつながる第一歩である。
9、奥の養鶏場の閉鎖が完了。10年という予定が少し伸びたが、何とか終わることが出来た。一区切りつけるという意味では、この一年での一番大きな仕事であった。片づけるものは片づけ、始めなければならないことを始める。いよいよということになる。
10、体調はとても良く、体力も普通にはまだある。意外でもあるし、しばらくは今の調子で行けそうであることがうれしい。このあとどのくらい維持できるかは分からないが、60を越えての2年目は無事過ぎて行く。
それでは今年出来なかったことがあるのかというと、あるようなないような、一応ないということで来年の計の方でまとめて見よう。
2010年の自給作業累計:295時間