明治大学農学部への訪問

   

小田切徳美教授に面会に明治大学に伺った。農山村の問題で、興味深い論説があり注目して読ませていただいてきた。昨日送られてきた、「TPP反対の大義」(農文協)でも理路整然と分析されている。一番の問題は都市と農村の対立構造を作り出しかねないという点である。今回、農の会の岩越さんの案内で、市の環境再生委員会の座長の小沢氏と共にお尋ねする機会をいただいた。お会いして驚いたことは、小田切先生が農の会のことを良くご存じだったことである。東大の池本教授と、東大におられた頃同僚であって、先生から聞いていたとのことである。以前選定委員をしたコンクールに農の会が応募をして、それを読んでくださっていた。その応募の文章が分かりにくくて、今なら天皇杯に選んだのにと残念そうに言って下さった。天皇杯というのは良く分からなかったのだが、どうも私が応募した文案を、県の方の書かれたものですか。と言われていたので、分かりにくいとしたら、私が書いたものに違いない気がした。その頃、農の会は周辺からとても圧迫を受けていた時期で、何とか公的な評価が必要だった。それなりの評価を頂いたので、それで目的を果たしたのですっかり忘れていた。

「農山村再生」限界集落問題を越えて(岩波ブックレット)をいただいた。様々な事例がある。農山村にいかに寄り添うか。都市と山村が分断されてゆく現実。それは実は都市的な暮らしが、農山村に及んでゆく姿でもある。開拓集落の意味を先生にうかがった。形を変貌しながら、新しい集落に再生した北海道の事例。30年代にすでに消滅した東北の事例。集落としての機能は失いながら、農村の衰退と同じような経過を経ている多くの事例。農山村の再生は、プラスの期間がある。この期間は外部から、押し付けるようなアイディアは良くない。どれほど優れた解決策であるとしても、内発的なものに育つまで時間を待たなくてはならない。ゆっくりと寄り添って行くこと。農の会の在り方こそ、この時代の新しい寄り添いの仕組みではないのか。地域再生の鍵はむしろ農の会にあるのでは。このように言わた。先生からとても具体的で、良い指導をいただいた。焦ったところで何もできない。ゆっくり待つこと。時が来ればおのずと変わる。変わり始めれば早い。

頭が沸騰しそうに詰まってきていた。ところが、小澤さんが早田先生のところにさらに伺うという、農学部の教授で以前から親しく交流があるという。新しい黒川新農場に県産材を使う。というような話で岩越さんとフォーラムをやると言うような打ち合わせになった。県産材の流通からの再生。3人で話されていて、なかなか面白い話であったが、農場には有機農業の畑も作ると書かれている。これはと思い、どんな有機農場に成るのかお聞きした。それではその責任者を呼んでくるからと、気軽に言ってくださり、佐倉教授に来ていただいてしまった。3人目の農学部の先生で、こんな贅沢をしていいのかと思う盛りだくさんである。有機農場は時間をかけて自然が作り出す土壌をつくってゆく。人為的なものを外から持ち込むことはされないそうだ。黒川農場の時間経過を見て見たいと思う。

佐倉先生は元農総研におられた方だ、若い方だから途中で現職に移られた方なのだろう。所長だった久野の初瀬川さんの話をしたら、3年後輩であると言われていた。小田原生まれでこちらの有機農業の内容は把握されていた。村越さんのことが出た。そう言えば村越さんは農水省の技官だった。有機農業の実証圃場について、その検証方法をどのようにして行けばいいか、どういう視点でデーターを集めれば良いか。次から次に質問攻めにしてしまった。頭がすでに沸騰していて、爆発気味であった。有機農業が再現可能な技術として成立するためには、大学での本格的な科学的な取り組みこそ重要である。もし実践的な実証実験など、必要があれは協力したいので、是非とも構想を頂けないかとお願いした。小田原有機の里づくり協議会の取り組むべき道が見えかけた。それにしても大学で学問をする。また学生に成って、一から学びたい位だ。

 - あしがら農の会