新規就農数

   

2009年度の新規就農者数は6万6820人だったそうだ。1960年に600万戸あった農家は減りつづけ、耕地30アール、農産物販売額50万円以上の「販売農家」は現在175万戸となった。最近はおおよそ6万人ぐらいが、新規に就農はしているが、その半分は60歳以上という。要するに会社を定年になってから、家業の農家を継ぐという人が数字的には可成りを占めている。農家を継いだというか、親がもう80歳を超えて、さすがにきつくなってきて、最低限の管理はせざる得ないというようなところだと思う。農家数は増えることは無く、徐々に減少している。この175万戸の農家は1軒で、100人近くの食料を賄わなくてはならないようになっている。もちろんできないから、自給率が40%ということになる。大体一人がどう頑張っても、20人くらいの食料生産で限界ではないだろうか。米だけ食べてもいられない。大型化、機械化に適合しないものもある。

一番多かった戦後の時代に600戸の農家があった。多分歴史的にも一番農家数が膨らんで、農地も一番広かった時代だろう。舟原でも見渡せる山はすべて、耕されていたそうだ。願いはせめて、今の倍の300万戸ぐらいの農家があればとおもう。なるほど、それで食料自給率80%ということになるのだろう。政府はそうは考えていない。各農家の耕地面積を広げればいいと考えているようだが。60歳超えて農地は広げない。どうすれば若い農家を増やせるかである。100年先のことはわからないが、20年先までは間違いなく若い農家は増えないだろう。そういう社会の姿、というか空気である。この時代では農業は当たり前の職業ではない。やはり若い人で新規就農する人は、独特の人である。少数派の人だ。そこがすごく魅力的で、付き合っていて私などは楽だけど。世間的な人は少ない。その意味でも地域社会の壁はさらに厚く存在する。

そこで期待しなければならないのが、自給的農家を増やすことである。販売しない農家。今1番目の敵にされていいるような、小さな農家である。一人の自給は日々1時間の労働と100坪の土地で出来る。しかも、まったく小さく循環するのだから、機械もいらない。鍬一本で可能だ。何も持ち込まず。何も持ち出さず。その土地の力だけで、充分回して行ける。自分が食べる農作物なら、ひんまがっていようが、傷があろうが構わない。消毒の必要もなくなる。買うものは何も無い。流通コストも無い。健康法の一種と考えれば、医療費の削減にもなる。それでいておいしい。結局うまいは手前味噌である。何より大切なことは、この安心立命観である。豊かな過不足のない暮らしの実現。自給農家が増えれば、自給率も上がるし、地域の環境も維持される。

政府が行わなければならないのは、大都市集中を終わらせること、企業の勤務形態の弾力性。住宅政策の見直し。地域格差の是正。地方分権。そうした流れを作リ出せれば、かなりの人たちが、たぶん10%の人が、それぞれの自給を始める。最近の新規就農者数がいくらか増えたと言うのは、戸別補償が出来たとか、農業政策に展望が見えたからというのではない。団塊の世代が、我が家の農地の管理を始めざる得ないという状況。一時的に減少を減らしているだけである。実態の農家数は、数年先には激減が始まる。耕地面積でみても、戦後のピークの600万ヘクタールから、2008年では463万ヘクタールに減少して、そのまま減り続けている。仕事がなくても、就職が出来なくても、農業をやろうという若者は増えない。「農家に嫁が来ない。」今では嫁などという言葉を使えば、差別主義者であるが。実は農業の未来をよく暗示していた。どうだろう、これから農家になる若い女性はどのくらいいるのだろうか。

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